考えたこと2

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文化部の衰退
以前、ジブリの「コクリコ坂から」を見た時に、あの当時の高校の文化部がたくさんあったのが描かれていて感心した。
あれは宮?駿の青春時代を描いたものと言われている。

男子の主人公は新聞部だったし、そのまわりにたくさんの文化部員がいた。
哲学部や物理部、化学部、弁論部、数学部など、白衣を着た学生(もちろん、実験着だ)も作品の中に出てきた。
この映画の時代は1963年とされている。
ぼくは1957年生まれだから、ぼくが小学校に入った頃の時代の高校生が描かれているということだ。

たしかに、ぼくが中学に入った時には、中学に物象部というのがあった。
物理現象部の略だったんだろうか。
部活の実体はアマチュア無線を趣味としてやっているという生徒が集まっていた。
その当時、指導する先生も名前だけで、部活がちゃんと学校にコントロールされているという印象はなかった。
このあたりに文化部がその後衰退していった原因があるのだろう。

たしかに、その当時やっていた「青春とは何だ」という番組では高校生が描かれ、たしかハイネの詩集が出てきたりしていた。
当時の女子高校生は、ハイネの詩集を読む、ということになっていたのかもしれない。
今のように義務教育を済ませたらほとんどの学生が高校に行く、という時代ではなくたくさんの生徒が中卒でも働いていた時代だ。

1960年代中盤の高校生というのは、戦争が終わってから生まれた。
後日歌われる、「戦争を知らない子どもたち」である。

俗にいう団塊の世代になるのだが、彼らの高校時代というのは文化部も盛んだったと言えるだろう。
ぼくの高校時代は1973年〜だが、新聞部はなかったと記憶している。
ただ、いろんなクラブの部室が入っているクラブハウスという建物があったが、そこには文化部も多かった。

その頃に比べると、文化部の数は減ったと思う。
結果的に、文化部の生徒数は減り、指導できる先生も減り、文化部は衰退の道をたどっている。

文化部の衰退は何を招いたか。
物事を批判的に見たり、議論したり、難しいことを背伸びしてやってみたりする生徒が減ったのではないかと思う。
コクリコ坂に出てくる2人の男子生徒のような生徒は、宮?駿の理想が入っていると思うが、そこそこいたような気がする。
それが後日の学園紛争などを引き起こした原因かもしれないが…。

でも、運動部一辺倒になってはイケナイと思う。

文化部の衰退は教養の衰退をも招いたのではないか。
だれか、調べてみてほしい。

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