考えたこと2

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メモがとれない
メモがとれない人が増えているという。

どちらかというと、若い人に多いらしい。
ネットで見ると、若い人がメモがとれないと言って嘆いている人が多いような気がする。
メモをとれというのに、とらないとか、何度も聞いているのに、とらないとか、そんな感じだ。

でも、この問題の本質は「メモをとる」というスキルが身についていない、ということだと思う。
そういうスキルを身につけないまま、社会に出る人が増えているのだろう。

メモをとるためには問題意識が必要だ。

問題意識というのは、あるテーマについて話を聞いた時に、それをどう聞くかということだと思う。
なぜ、こんなことを話しているのか、話し手の言いたいことは何なのかなどを考えながら聞く。
そういうふうにしてメモはとられるのだと思う。
だから、何も考えてないと、当然メモはとれない。

普通、何かを積極的に聞く時にはそういうふうに聞いているものだ。

これはものを読む時も同じこと。
大事なところに線を引くのと、メモをとるのは同じようなものだ。

問題意識を持つ、というスキルはどうやって養ってきたのだろうか。
それは、授業のノートをとるというところからだろうと思う。
最初は興味があるかないか、わからないことを聞く。
聞いているうちに興味を持つかどうかは、先生の腕のみせどころだ。

そして板書を写す。
板書を書いた時に、先生が言っていることをついでに書く。
このあたりがメモをとることの第一歩だと思う。

最初の一歩は、あくまで問題意識、つまり話に興味を持つことだ。
学校の授業を通じて、たとえ興味があまりないことでも、考えながら聞くという訓練をしているのだろう。
そんなことを通じて、メモをとるスキルが養われるのだと思う。

メモがとれないということは、そのスキルがない若い人が増えているということだろう。

最近はプリントをくれ、という生徒が増えているという。
授業のプリントである。
何を言うかが書いてあるものだ。
すでに授業の要点をまとめたものを配布する授業が増えているのだろう。

昔に比べて、どれくらい先生が親切になったかはわからない。
でも、そういう授業が増えると、メモをとる訓練ができなくなる。

もう一つは問題意識そのものだろう。

小学校でつまづいた算数や、中学校でつまづいた英語がずっとつまづいたままの大学生がたくさんいる。
彼らはその後の授業をどう受けてきたのか。
全くわからない授業をどう聞いてきたのか。
問題意識を持ちたくても持てない授業をずっと聞いてきたのではないか。

これではメモをとれなくても、しかたない。

我々オトナが悪いのだ。


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