考えたこと2

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気の緩み
父がなくなった時、葬式でお経を読んでもらった寺に四十九日の読経を頼んだ。
住職はもう80近かっただろう。
それでも、バイクで通っていた。
民生委員の元締めみたいな事もやっていると言っていた。

四十九日の日はわりと長いお経だった。

浄土真宗の西本願寺派という宗派。
この宗派は読経のあと、説教をすることになっているらしい。

その日は何の話をしたのか、忘れた。
しかし、説教が終わって、お茶を飲みながら世間話になった時に「うちも娘二人に婿を取って、寺を継がせるつもりなんやが、どうも頼りなくて、わしが死んだらどうなるのか、心配になる」と言った。

坊主が「自分の死後が心配だ」というようなことを言われると、俗世間の我々は困る。

「はあ…」とは言ったものの、その場にいた親族一同が困ったような反応だったので、住職はそそくさと帰っていった。

帰ったあと、親族一同「あれはないで」という話になった。
いくらなんでも、坊主が言っていいことと悪いことがある。

当時会社に、お寺の次男坊がいたので、その人をつかまえて、こんなことがあった、と話をすると、「それは言うたらあかんなあ」とのこと。

「よっぽど気が緩んだんやろなあ」

なるほど、そうかもしれない。

しかし、仮にも死後の浄土に導く導師という職業の人が、「自分の死後が心配だ」はないだろう。
気が緩むどころの話ではない。
職業意識の問題だ。

もちろん、その時以来そのお寺とは関係がない。

あの住職、まだ存命だろうか…。


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