![]() |
2013.11.18 Monday
人は見かけによる
子供が高校の頃、保護者会に出たら、ちゃんと制服を着ていない生徒(異装)の話があった。
その時に先生が言った言葉が印象的だった。 異装の学生を注意すると、「人を見かけで判断してはいけない」という事を言う生徒がいる。 しかし、それは端折った言い方で、正しくは「人を見かけで判断したら1割くらいは間違える。だから見かけで判断したら間違うかもしれない。」というのが正解だ、という。 つまり、9割は人は見かけで判断して正解だという。 ぼくもそう思う。 海外に行くとそれはもっと顕著だった。 フランスにいるとき、アラブのテロが頻発しており、空港で爆発などがあった。 その時は空港近辺には警察がたくさんいて、道行く人で怪しいと思った人を検問していた。 一目見てフランス人という人はOKだったが、ラフな格好でウロウロしていると目をつけられた。 でも、スーツ姿でネクタイをしていると、フリーパスだった。 不特定多数の中から、誰か怪しいやつを見つけようとすると、どうしても見かけで判断することになる。そして、それはかなりの確率で正しかったのだろう。 だから、TPOに合わせて服装や身だしなみを整えることは大事だ。 海外で異邦人状態でいるなら、日本より少し身だしなみを気にしたほうが安全だ。 それは相手を理解しているというコミュニケーション能力であるとも言える。 「いちご白書をもう一度」という歌で、「就職が決まって髪を切ってきたとき、もう若くないさと君に言い訳したね」と歌われる。 ぼくもこの歌詞に共感した一人。 誰しもリクルートカットはしたくない。 それは自由な学生から不自由な社会人になる、ということの象徴だろう。 しかし、通らなければならない道だ。 嫌なこと、しなくてはいけないことができるのか、ということがそこで問われる。 人生は「自分がしたいこと」だけで成り立ってはいない。 圧倒的に「自分がしなくてはならないこと」の方が多いのだ。 今の教育は「自分がしたいこと」を見つけなさい、という問いが多すぎると思う。 そうではなく、「自分がしなくてはならないこと」はどういうことか考えなさい、という問いを増やすべきだと思う。 そうでなければ、社会に出る時にハードルが高すぎて超えられない。 権利も大事だが、義務も大事なのだ。 |
![]() |