考えたこと2

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教育委員会
教育委員会の改革が議論されているが、先週は進展があった。

大阪の橋下市長が主張している、教育委員会から首長に教育行政の執行機関を切り替えるという案が中教審で出ている。
もう一つの案も、教育委員会は残すが、その任命、罷免の権利は首長に持たせる、というものらしい。

時々テレビで教育委員会の方々が出ているのを見るが、この人たちに責任感があるのかな、と思うような言動や場面が目立つ。
学校でのイジメの問題を、学校出身者ばかりで構成されている教育委員会などで議論しているが、今のところいい案も出ないし、責任逃ればかりが目立つし、怒られてから仕方なく何かする、というようなことばかり。

中教審の委員からは「首長が不当な指揮をしないかチェックできるようにすべきだ」との意見が出たらしいが、それなら今の教育のていたらくは誰が責任を取るのかと聞きたい。

世間で原子力ムラなどと言っているが、教育ムラの方がよほどひどいと思う。
採用試験など、親が教師なら面接は通ってしまうのは当たり前だと思っている人もいるのではないか。

教育という産業は性格上補助金漬けになっている。
そこに利権が生まれ、ムラ意識が生まれる。
楽な方に流れるのだ。

一般人を校長に、という制度ができてだいぶ経つが、行った人が持たない事例も多い。
それだけ、一般社会の常識から外れたことが行われているのだ。
校長といっても、みんなが言うことを聞かないのは当たり前らしい。
社長の言うことを聞かなかったら、クビにできるが、学校ではそれは常識ではない。

運動会の競争で、順位付けをしないとか、子供と友達のように話す教師が良い教師だとか、毎日毎日部活ばかりでまともに教えることもできない教師がいたり、スポーツにだけ力を入れている学校があるとか…。
小学校の子供を持つ親なら、最近の小学校の参観や行事参加などで、これオカシイと思うことが必ずあると思う。
ぼくも何度かあきれたことがあった。

教育というのは、自分の経験しか判断基準がないものだ。
だから、私の頃はこうではなかった、という風になりがちだ。
しかし、そういう考えをできるだけ排除しても、やっぱりオカシイものはオカシイ。
一般社会と一緒がいいとは思わないが、あまりにもかけ離れたものではダメだ。

社会に出たら、相対的に評価されるのが当たり前。
いくら頑張っても、負けは負けなのだ。
潰れるときは潰れる。

個性が大事などというのはマチガイだ。
学校は型にはめるためのものだ。
第一、型にはめないと、個性など出てくるわけがない。
いくら型にはめても、はまりきらないものを個性という。
それを最初から型にはめずに自由にやらせるなら、学校など要らない。
人間は本能が壊れているから、本能のままに生きたら問題を起こす。
だから、学校というシステムができたんだろう。

今回の教育委員会の制度改定はぜひ実行してほしい。

そうしないといつまで経っても義務教育は崩壊したままだ。

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