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2013.07.31 Wednesday
資格で生きていけるのか
日体大が児童スポーツ教育学部というのを今年作ったらしい。
アスリートがピアノを練習して、幼稚園の先生になりたいという。 学部長が言うには、「中高の保健体育科の教員として、現役で就職できるという人(学生)の数が、非常に目減りしてきている。やっぱり、就職率を上げたいし」とのこと。 別に悪いことではないと思うが、何だかなあとも思う。 だいたい、先生と呼ばれる人たちは資格志向だ。 自分が教員免許という資格を取って生計を立てているから、そうなるのだろう。(もちろん、採用試験に通らないといけないが) おまけに教育される側から、する側に移るだけなので、実社会を知らない。 橋下市長が言っている、民間の校長の導入は正しいと思う。 しかし、民間から来た人は排除されてダメになる場合もある。これは教育業界のガバナンスの問題だと思う。 下の人たちは、上の人の言うことを聞かなくてもいいと思っているのだろう。 民間企業の常識であっても、教育業界では非常識というものがたくさんある。 大学教員になるには資格は要らないが、本来それなりの研究成果が必要だ。 しかし、780校も大学ができて、大学教員の質も下がった。 ろくな研究成果のない教員もたくさんいる。 しかし、少なくとも大学教員になるためには、大学に残らないといけない。 大学に残る人は、なぜか実社会に出るためには、資格があった方が有利と思っている。 そういうリクツで、日体大の児童スポーツ教育学部というようなものができるのだと思う。 中学、高校の教員免許では就職が難しくなってきたから、小学校、幼稚園の免許も取れるようにしよう、ということだろう。 そんなわけで、たくさんの大学が資格志向になっている。 この資格が取れるから、ここに行こう、という高校生を狙っているのだ。 しかし、世の中そんなに簡単なものではない。 資格を取っても、何の役にも立たない場合もある。 何かのスポーツのプロ(それでメシを食っていく)を目指して入るのが、日体大だろう。 それと、児童や幼児のスポーツ教育とは一緒にならないし、そんな人に教育をしてほしくない。 スポーツの能力よりも、教育の能力が優先だと思う。 スポーツは課外でやればいいのだ。 もともと、資格というのは、手段であって目的ではない。 この仕事をしたいから、この資格を取ろう、ということだ。 高校生で、この仕事をしたいと思うのは勝手だが、ぼくの経験からはそんなものはあてにならないし、それは可能性を狭めることになる。 よしんば、思ったとしても、大学に行ったら変わるのだ。 いろんな人と知り合い、考える時間も増えるし、自分の実力や適性、可能性も、そして限界も分かってくるからだ。 だから、極力、未来を縛らない方がいいと思う。 別に日体大だけが問題ではない。 他の大学も同じだ。 資格で高校生に夢を与えるのは邪道だと思う。 それは彼らの可能性を狭め、そして資格に頼ろうとする、実際には資格を取っても使い物にならない人を増やす効果の方が大きいと思う。 |
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