考えたこと2

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勘違い
何度も書くが、今の教育者たちは勘違いをしている。

彼らは決められたことを教えないとイケナイ、と事あるごとに言っている。
決められたこと、というのはその学年の課程で教えなさい、と文科省が決めているものだ。
だから、必死に教えようとしている。

暗記中心の科目ならまだいい。
前に覚えていなかったことも、もう一度覚えるだけだ。
しかし、多くの重要な科目は積み上げ式になっている。
前の学年、前の学校で習ったことを理解していないと、その先のことは教えられない。
正確には教えられないのではなくて、教えても理解できない、ということになる。

そういう事を何年も繰り返された生徒はどうなるのだろうか。
まずは学ぶことの面白さといったものを理解できない。
教室で授業時間を過ごすことが苦痛でしかない。
それでも、今の学校なら一定の時間数さえこなせば、卒業はできる。
それを履修主義という。
要は出来なかったら補習を受ければOKというようなものだ。(小学校にはそれすらないが…)
それが理解されたかどうかは問われない。

昔は修得主義だった。
いくら時間数を履修しても、テストである到達点に来ていなければダメというものだ。
しかし、いつからか、履修主義になった。
履修主義が先か、学年を進ませるのが先か、それはわからない。

少なくともこれだけは理解して、卒業してほしい、というような思いは今の教育者にはないのだろうか。
クラスでみんなとうまくやるとか、元気に運動するとか、ナントカ委員をやるとか、そんなことも大事ではある。
しかし、ウチの学校を出るからには、これだけの知識はつけてやらないと…、という事はなくてもいいのだろうか。

なければならないと思う。

そうは思っていても出来ないのか、それとも、もともとやる気が無いのか、あるいはその重要性がわからないのか…。

そんな先生に、そんな授業をずっと聞かされてきた生徒は、先生の話を聞かない訓練をしているようなものだ。
寝ずに、こっちを見て、そして無反応。
不思議な光景だと思う。
そういうのを見ると、本当に気の毒だと思う。

そんなことをしている先生は教育者ではなく、教育屋だと思う。

今、日本で中国の文化大革命みたいなことが起こっている。
静かに、しかし確実に、知識を殺している。


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