考えたこと2

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教育委員会廃止論
穂坂邦夫という人が著者。アマゾンで中古で買った。
著者は埼玉の志木市長で、教育改革をやってきた人。
この本によると…、

教育委員会は、例外なく全ての都道府県、市町村に設置されており、首長から独立した位置づけで、教育行政の重要事項や基本方針を決定し、教育長が決定に基づいて職員を指揮、監督し、事務を行う、ということになっている。

これによって、教育は地方公共団体の長から独立し、合議制の執行機関とすることで、中立性、安定性、継続性を担保している。
また、多様な委員が合議により意思決定をすることで、地域住民の多様な意見を反映させることができる、ということに、これまたなっている。

ところが、市町村教育委員会には、学校運営の基本である教職員の人事権はもとより、任命権も懲戒権もなく、教職員の給与は都道府県が負担することになっているので、学校の所属する教職員はあくまで都道府県職員となる。
したがって、市町村にとっては学校の職員は部外者となっているのだが、教育行政上は公立の各小中学校の管理運営は市町村が行い、最終責任は市町村教育委員会となっている。
つまり、人事権が実際に運営しているところにはなく、また自治体の首長は第三者になっているのだ。

この本には、教育上の責任を持つ上で、責任者が人ではなく、教育委員会、という機関になっているという問題点を挙げている。
これは全くその通りだ。
いろんなところで、イジメや体罰の問題が出ても、誰も責任をとる人がいない。
これは大学の教授会と同じく、責任の所在をぼやかすためのものだ。
だから、教員の不祥事がいくら起こっても、抜本的な改革が実行されない。
いくつもの事例で、市町村教育委員会がさまざまな制度上の矛盾について文科省や都道府県教育委員会に改善の申し入れはおろか、議論を投げかけた痕跡すらない、という。

また、総合学習の失敗には3つの理由があるという。
第一点は、長い間自分自身で考えることをやめ、化石状態を強いられてきた教育現場に、いきなり学習内容を「教員が自分で考える」ことを求めたため、考えることのなかった現場に大きな戸惑いを与えたこと。
第二点は、県費負担教職員制度ゆえに採用から研修に至るまで、教員の資質が確保できないということ。
第三点は、教育現場は「時間が不足」していて、総合学習の準備に多くの時間がとれないということ。

今は地域コミュニティが壊れかかっていて、首長が先頭に立ってコミュニティを再生し、行政と学校が連携して地域との連帯や協力関係をつくり上げる必要がある。
だからこそ、教育委員会制度を終わらせなければならない、という。

ぼくは、橋下大阪市長が、ずっと言っている「選挙によって選ばれた首長がもっと教育に責任を持つべきだ」というリクツは当たっていると思う。

NHKのニュースサイトの記事。

「日本維新の会は、今の教育委員会制度は機能しておらず、制度を抜本的に見直す必要があるとして、教育委員会制度を廃止する法案をまとめ、5日、衆議院に提出しました。
法案では、都道府県や市町村の教育委員会を廃止し、代わりに自治体の長が教育施策の実施計画である教育振興基本計画を策定するなど、教育事務を一元的に管理するとしています。
また、教育行政の現場の責任者として、今の教育長に代わって特別職の「教育部局長」を置くほか、教育振興基本計画の進捗(しんちょく)状況について、少なくとも年に1回、議会に報告することを義務づけています。」

この意見に賛成。

今の日本の義務教育は崩壊している。
これを正すためには、教育における首長の責任を明確化して、教育現場に緊張感を取り戻すしかないと思う。

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