考えたこと2

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演劇の可能性
平田オリザという人がいる。

講談社現代新書の著者紹介欄によると、「平田オリザ 1962年東京都生まれ。国際基督教大学在学中に劇団「青年団」結成。戯曲と演出を担当。現在大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授。2002年度から採用された、国語教科書に掲載されている平田のワークショップの方法論により、多くの子どもたちが、教室で演劇をつくるようになっている。」とある。

この人の「演劇入門」を読んだが、演劇というものがどんなものであるか、俳優がどういう風にセリフを話すのか、いい俳優とは…、というような事が書いてあった。
いい本だった。

「わかりあえないことから」という平田オリザがコミュニケーション能力について書いた本が出た、ということで、さっそく新書を買った。

この人はすごく鋭い人だと思う。

今の子どもたちの問題点を指摘して、それを解決するにはどうしたからいいか、を考えている。

「昨今、小学校の高学年、あるいは中学校になっても、単語でしか喋らない子どもが増えている。喋れないのではない。喋らないのだ。
たとえば、兄弟が多ければ「ケーキ」とだけ言ったところで、無視されるのが関の山だろう。しかし、いまは少子化で、優しいお母さんなら、子どもが「ケーキ」と言えば、すぐにケーキを出してしまう。あるいは、もっと優しいお母さんなら子どもの気持ちを察して、「ケーキ」という前にケーキを出してしまうかもしれない。
子どもに限らず、言語は、「言わなくてすむことは、言わないように変化する」という法則を持っている。「ケーキ」をどうしたいのかを聞かずにケーキを出してしまっては、子どもが単語しか喋らなくなってもしかたない。
繰り返すが、単語でしか喋れないのではない。必要がないから喋らないのだ。「喋れない」のなら能力の低下だが、「喋らない」のは意欲の低下の問題だ。」

「学校でも、優しい先生が、子どもたちの気持ちを察して指導を行う。クラスの中でも、イジメを受けるのはもちろん、する方だっていやなので、衝突を回避して、気のあった小さな仲間同士でしか喋らない、行動しない。こうして、わかりあう、察しあう、温室のようなコミュニケーションが続いていく。」

「表現とは、他者を必要とする。しかし、教室には他者はいない。」

「そういったライフスタイルの多様化の中で、たとえば、大学に入るまで、親と教員以外の大人と話したことがなかったという学生が一定数、存在するのだ。」

このスルドイ指摘の元に、この人は学校で、演劇の持つ「演じる」ことの可能性を活かして、ワークショップを開いている。

大学院ですら、こういう教育を必要とする。

この現実は、本当だ。
こういう教育が必要とされているのだろう。

そういう刺激的な事が書いてある。

平田オリザ「わかりあえないことから」。
いい本だ。

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