考えたこと2

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松田聖子
松田聖子は1980年代を代表するアイドル歌手。

ぼくが就職した直後にデビューして、一躍アイドルになった。

青い珊瑚礁、風は秋色、チェリー・ブラッサム、夏の扉、白いパラソル、風立ちぬ、赤いスイトピー、渚のバルコニー、小麦色のマーメイド、野バラのエチュード、秘密の花園、天国のキッス、ガラスの林檎、SWEET MEMORIES、瞳はダイヤモンド、Rock'n Rouge、時間の国のアリス、ピンクのモーツァルト、天使のウインク…。

1980年から1985年のこれらの曲は、この時代の音楽に関わって生きた人なら、誰でも口ずさめる曲だ。

この人の前にはピンクレディ、その前はキャンディーズ、山口百恵、桜田淳子などがいた。
この人の後には、アイドルはもういない。
中森明菜がアイドルらしいところはあるが、松田聖子ほどのビッグなアイドルはもういなかったと言っていいのではないか。
きっと松田聖子には最後のアイドルとして、いろいろな悩みがあっただろうと思う。

1980年代は歌番組からバラエティへの移行時期でもある。
「俺たちひょうきん族」が始まったのが1981年だし、夜のヒットスタジオが終わったのが1990年だ。
ひょうきん族が今のバラエティの元を作ったのだと思う。楽屋落ちを全国ネットに広げた。
1990年以降は、今のバラエティというカテゴリーが激増する時期でもあり、歌番組が減る時期でもある。
そんな中で、松田聖子は最後のアイドルとして活躍した。

1980年から88年にかけて24曲連続でオリコンシングルチャート1位を獲得した、というのはスゴイ。
本当にすごいアイドルだったのだ。

1990年以降は、アメリカに活躍の場所を求めて活動した時期もあった。
頑張って英語も覚え、海外のドラマにも出演したりしたが、それらを評価されることはなく、この道もダメだったようだ。
30代から40代をそれで潰した。

今年で50歳だが、40代以降は作詞・作曲など音楽プロデュース業に頑張っているらしい。

ソニーから出ている、デビュー25周年のDVDボックスを借りて見ているのだが、つくづく上手に年を取るのは難しいと思う。
特に、彼女を見ていると、若いときに大きな業績を残した人が、どうやって脱皮するか、というところに考えが行ってしまう。
ひょっとしたら、どこかで開き直って、当時のアイドルとしての自分を認めているのかもしれない。

ぼくにとっては松田聖子はやっぱり80年代のヒット曲が一番印象深い。
特に、赤いスイトピー、渚のバルコニー、小麦色のマーメイド、蒼いフォトグラフ、Rock'n Rouge、Bon Voyage、秘密の花園…、という一連の作詞:松本隆、作曲:呉田軽穂(松任谷由実)の曲がいい。
当時の曲を歌う松田聖子がYoutubeにたくさんアップされているが、あの曲を聴くと時代を思い出す。
1990年代のコンサートで、当時の曲を歌っている場面でひときわ歓声が高まる。
みんな手拍子して、会場が一つになったような感じ。
複雑な心境で彼女は歌っているような気がする。

1980年代という時代を輝かせた一人。
その時代が彼女を輝かせたのではなく、彼女がいたから、あの時代が輝いたのだと思う。

そんな松田聖子のディナーショーを明日見に行く。

楽しみだ。

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