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2012.12.01 Saturday
日本の教育
いじめの問題も見ても、学力の問題を見ても、今の学校の状況は諸手を挙げてヨロシイ、という状況ではないのは事実だろう。
何に問題があるのか。 社会が個に分解され、地域のコミュニティの教育力がなくなったとか、少子化であらゆる学校が過当競争になり、経営重視になったとか、そもそも子供が減っているので、彼らは競争をしなくても良くなったとか、いろんなことが言われている。 どれも、それなりに正しいのだと思う。 では、一番手っ取り早い処方箋は何なのか、ということになる。 これはやはり教育を専らやっている部門の体制を変えることになるだろう。 それが仕事なのだ。 社会はそう簡単に変えられないが、教育の仕組みは比較的簡単に変えられる。 たとえば、教員の養成方法を変えてみるとか、学校の仕組みを変えてみるとか…。 その一環が教育委員会の改革というものだろう。 先生しかしたことがない人が、教育界には多すぎる。 生徒たちは学校を出て、社会に出る。 社会で評価されるのだ。 それなら、社会人経験を持っている人がもっと関わるべきだろう。 今の教育委員会を見ていると、自分たちの仲間を守ろうとしすぎる。 大津のいじめの問題をみても、それはあきらかだ。 なぜか。 みんな学校の先生だからだろう。 ぼくは、もっと教育に、実社会に出た人が関わらないとイケナイと思う。 先生が社会に出ていないとは言わないが、学校という閉鎖的なところで、生きている。 おまけに、自分の子供たちが小学校でやってきたことを見ていると、どうもオカシイと思わざるを得ない。 橋下市長が、教育長の選出方法について、「人が死ぬわけでもないし、一度変えてみたらどうか」というようなことを言っていた。 全くそう思う。 今の状態がよくないのは明らかだし、それなら変えてみたらいいのだ。 今のままを継続するのはヨクナイ。 どうして、そういうことを考えられないのだろう。 普通なら、一刻も早く何かを変えないといけないと思う、と思うのだが…。 何が恐くて変えられないのだろうか。 不思議で仕方がない。 こんな大変な状態なのに、ほとんど放置して、誰も何も思わないのだろうか。 事は急を要するのだ。 すぐに手をつけても、その効果が現れるのに、何十年もかかるのに。 |
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