考えたこと2

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学びの真実
海外ドラマを見ていると、時に驚くような表現がある。

「ぼくらは運命の糸で結ばれている」という字幕が出たとき、原語ではどうなっているか。
それが"We are made for each other."。

意訳だが、とてもよくできている訳だ。

We are tied by string of destiny.
これは運命の糸で結ばれている、という意味だと思うが、こんな英語はないだろう。
何となく、格好悪い。

運命の糸で結ばれる、というようなややこしい比喩の場合、たいがい原語は簡単な英語だと思う。
結局意味は簡単なものだからだ。
ぼくらはお互いのために作られている、という表現が、運命の糸で結ばれている、と訳される。

言い得て妙。

こんな発想の違いも、言葉を習う楽しみ。

実際、英語を学ぶということは、言葉というものを知る助けになる。
英語でなくてもよい。
外国語であれば、役に立つ。

外国語を学ぶことは、日本語を知ることになる、というのは直接の目的ではない。
でも、日本語を深く理解するためには、外国語を学ばないといけないと思う。

福沢も漱石も鴎外も外国語が堪能だった。
川端康成は英文科だし、小林秀雄は仏文科だった。
そうだからこそ、日本文学ができたのではないか。

そもそも、外国語を習うのは、読んだり、書いたり、話せるようになるというのが目的なのだろうか。

それはちょっと短絡的すぎると思う。

目的、という言葉は学ぶという言葉にはそぐわない。
世の中は、目的という言葉にあふれている。
何のために、何をするか。
曰く、何かの資格を取るために、何かを学ぶとか、この学部にいけば、これになることができるとか、そんなことは本当はどうでもいい。

本当は学ぶことに目的などない。
学んだ結果をどうするかは本人が決めることだ。

それが真実だと思う。

でも、その真実は学ぶ前にはわからない。

この年になって、それがやっとわかった。


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