考えたこと2

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小学校
「分数ができない大学生」という本が出たのは、調べてみると1999年。

当時は会社勤めをしながら、ほんまかいな、と思った。

アマゾンで商品の内容の欄を見ると、「信じられないでしょうが、大学生の10人のうち2人は小学生の算数ができません。基礎科目全体の学力の低下を指摘し、わが国の教育を蝕んでいる問題の一つ一つについて明確にしようとする試み。」と書かれている。
残念ながら新品は入手できない。

だが、ちくま文庫で「新板 分数ができない大学生」が出ている。
これには「小数や分数の計算にも四苦八苦する大学生たち―「ゆとり教育」に警鐘を鳴らし、学力低下論争の口火を切った話題の書。その後の教育論議に大きな影響を及ぼし、「ゆとり」是正の先鞭をつけることとなった。あれから10年、学力低下問題の解決に程遠い現状を目の前にして、本書の問題提起は、いまだ色あせていない。」と書かれている。

確かに、日本の学生の算数のレベルは落ちているように思う。

ぼくらが小学校の時は、先生が「アメリカ人は暗算が苦手で、お釣りの計算の引き算ができない。だから、商品の値段に足す形で計算するんや」と習った。
当時のアメリカのドラマをみていると、商品は7ドルで、「8,9,10」と言いながら、3ドルのお釣りを返すような場面をよく見た。
それで、ぼくらは無邪気にも、日本人は計算が得意だ、などと思ったものだ。

また、折にふれて先生が、「日本には資源もないし、お金もない。人しかいない。」というような事を言っていた。

きっと当時の小学校の先生は、敗戦後の実体験があって、本気でそう思っていたのだろう。
その先生方は昭和ヒトケタの生まれだった。

それから高度成長が始まり、名実ともに日本は大国になった。
ソニー、ホンダなどのブランドが世界のブランドになり、Made in Japanは信頼のブランドになった。

バック・トゥ・ザ・フューチャーという映画で、タイムマシンで戻った過去ではMade in Japanの製品はダメだ、と言っていたのが、現代ではMade in Japanだから大丈夫、という意味の会話があった。
20年ほどでそれだけの変化を遂げたということだ。

その変化に立ち会えたぼくらは、幸せな世代だったと思う。

しかし、それから数十年。
その高度成長を体験したぼくらの世代が先生になり、育てた学生が計算できなくなった。
教えていないのではない。
教えているのに、その十年後には計算ができなくなっている。
きっとその時はできたのだろう。
こないだ、そういう話をしていたら、「そらそうやなあ。小学校でちゃんと教えんとなあ。すべての基礎やからなあ。」ということになった。

当たり前の話だが、そういうことだ。

文科省は10年間何もしなかった。
だから、悪化する一方だ。

「人しかいない」国がこの状況。

これでいいわけがない…。





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