考えたこと2

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戦後すぐ
このところ、朝のドラマは戦後すぐを描いたものになっている。

これはきっと震災の後の復興と引っ掛けているのだろう。
戦争のあとは、本当に大変だったと思う。
どう描いても、セットでは表現できないだろう。

地下水を汲み上げるポンプがあるところで、みんな歯磨きをする。
そこら中に瓦礫があり、学校は屋外に黒板をおいて授業。
もちろん、地面にムシロを敷いて座って授業を受ける。
ムシロと言っても、見たこともないという若い人が増えた。
戦後は遠くなりにけり、だ。
今日話していたら、30代でも「ナフタリン」を知らなかった。
防虫剤といえばナフタリンだったが、もう通じない。

1945年8月15日だから、もう67年前になる。
ぼくは戦争が終わって12年経って生まれた。
70年代は「戦争を知らない子どもたち」という歌が流行った。
いろいろと戦争や戦後を描いた小説を読んだが、その悲惨さはとても想像ができない。
体験した人しかわからないだろう。
ぼくらは、ただ想像するだけだ。

でも、今の自分たちを支えている社会を作ったのは、その人たちだ。
戦争の体験者が戦後の日本を復興させ、今の日本の道筋をつけたのだと思う。

手塚治虫が、終戦の日に灯火管制が無くなり、ネオンや街灯がついている大阪を見て、「ああ、生きていてよかった」と思ったことを書いていた。

その本に、1990年代の日本は、「見かけは平和を享受していても、大衆の心は戦争時代よりもある意味でもっとすさんで、不安な状況になっていると思います。少なくとも戦争中は、それがまちがっているにせよビジョンのようなものを人々は持っていました。それが多少なりとも「生きがい」につながったと思います。しかし最近は体制社会のなかで、ただ毎日を生きのびるという処世術が先行して、人生の喜びや未来への期待はしだいに失われてきています。ことに若者や子供がそうです。」と書かれている。

残念ながら、21世紀に入って、手塚の心配が当たっている。

若者が、手本になる大人をなかなか見つけることができない。
夢を語り、ビジョンを語り、一生懸命に生きている大人が身近にいないのだろう。

というより、そういう大人がもういなくなったのかもしれない。

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