考えたこと2

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論語
ぼくらは高校で漢文の時間に論語を習った。

習ったといっても、「学んで時にこれを習う、またよろこばしからずや」とか「友あり遠方より来る、また楽しからずや」とか、「ゆくものはかくの如きか、昼夜をおかず」とか本当に有名な部分のみだった。

子路とか顔回という弟子がいたことはかろうじて知っている。
子路は向こう見ずで、顔回は賢いということも書いてあったような気がする。

漢文は週に1回はあった。
3年間続いたのは間違いない。
ぼくはどちらかというと、漢文が好きだったので、よく覚えている。
どこかに、薄い漢文の教科書がまだ置いてあるはずだ。
なんとなく、捨てられなかった。

孔子に対して、老師というのもあった。
ぼくはどちらかというと、そちらの方が好きだったが、日本ではやっぱり論語がメジャーだ。

この年になると、論語の言葉が身にしみる。
五十にして天命を知る、と孔子はおっしゃった…という。
もう55歳だが、天命を知るというには全くおこがましい状態だ。

以前、香港に行った時、論語の話をして感心されたことがある。

「孔子」と「学而時習之亦楽哉」などと書いたら、意味はわかったようだ。
人間、誰しもその国の有名人を知っていたらうれしいものだ。
調子にのって、「日本人はみんな孔子のことを偉いと思っている」くらいのことは言ったような気がする。

香港の人はみんな喜んでくれた。

その当時、中国の人は孔子を知らない人がたくさんいたはずだ。
今はちょっと事情が変わっているだろうが…。

しかし、2500年ほど前に生きた孔子の言葉を、それから200年か300年か、はたまた500年後かに弟子が記録したものが論語だという。
それだけの歳月、弟子がいつづけたこともすごいし、それを言い伝えていたということもすごい。

誰かが言っていたが、古典とはいつまでも新しいもののことを言うらしい。

まさに論語は古典だろう。




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