考えたこと2

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別れの季節
3月は別れの季節。

卒業式(高校はもう終わっているところが多いが…)がある。
クラスの編成替えもある。
クラスメイトとの別れ、学校への別れ、今までの生活への別れなど、いろんなドラマがある月だ。

でも、学生時代は別れるということに、今ほど感慨はなかった。
学校に対する帰属意識が、あまりなかったからかもしれない。
クラスメイトでも仲のよかった連中とは、いざとなれば連絡していつでも会えるという気持ちがあったのかもしれない。
今なら携帯電話やMixiなどのツールもあるし、余計にそうかもしれない。

小学校の頃はそれほど別れは意識しなかったと思う。
まして、ぼくの行っていた小学校は、みんな同じ中学に上がるので(私学に行く人は別だが…)、そんなに別れる、という気持ちそのものがなかった。

中学校は1学年11組もあったので、学年のまとまりはそんなに感じなかった。
クラス替えでは、ほとんど総替えに近かったので、すごく仲のいい友達ができたわけでもない。
それに、中学というのは難しい時代だと思う。
自分でもあの頃を思い出そうとしても、あまり思い出せない。
だから、中学だけ一緒という友達は少ないように思う。小学校からの友達か、高校も一緒だったという友達がほとんどだ。
そして、相変わらず、別れるという感慨はなかった。

ぼくらの高校は、学年10組でそのうち3組が1年から理系ということで分かれていた。
ぼくはその理系クラスだったので、3年間比較的同じ顔ぶれだった。
高校になると、だいぶ仲のいい友達もできる。
行動範囲も広がるし、趣味もできてくる。
でも、高校の卒業式は入試でバタバタしていて、あまり印象に残っていない。
3年の3学期は試験を受ける準備期間のようになっていたからか。
「仰げば尊し」をいい曲だ、と思って歌ったことはよく覚えているのだが…。

ただ、あの頃の3年間は、今の3年間に比べて、本当に長かったと思う。
1年で入学、3年で卒業。当たり前のことだが、この間が長かった。
50を過ぎた今になって思えば、あの3年間はいろんな事があったのだろう。
ぼくは、落研を作ろうと思ったが、それがダメだったので、クラブ活動はあまりやらないかった。
俗に言う帰宅部というヤツだ。
だから、時間はあったと思う。
本格的に日記を書き始めたのも高校だったし、気に入った小説の一節をノートに写したりしたのも高校時代。
左翼シンパになったのも高校なら、太宰治や坂口安吾を読み始めたのも高校だった。
高校時代、何に打ち込んだというわけでもない。
それでも、暇なことはなかった。
生きていること自体が、忙しかったという感じだ。

大学は卒業式に出なかったので、それに関する感慨はない。
でも、下宿をひきはらって、誰もいない春休みに、落研の部室をのぞいたことは覚えている。
あの部屋がぼくの青春だった。
そういえば、「青春」という言葉も最近はあまり聞かないなあ。
そのうち、死語になるかもしれない。

そういえば、小学校や中学校の卒業前に、何人かのクラスの女の子がサイン帳を持ってきて、書いてくれと言われた覚えがあるが、あれには何と書いたんだろうか…。

今となってはどうでもいいことだが。

シマリのない文章になったが、今年も3月が来た…。

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