考えたこと2

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科学者
長男が入った研究室では、ぼくらの年代の先生がSFファンらしく、学生も読まないといけないらしい。

前にも書いたが、ぼくらが小中学校の頃はSFの絶頂期だった。
日本の国が科学立国を掲げていたし、ノーベル物理学賞は取ったし、今のような理科離れなど考えられない頃だ。
科学者=よい人だったし、今では無邪気と言われるかもしれないが、科学の進歩が生活を向上させると信じていたし、そういうことができるという時代でもあった。
だから、SFが流行ったのは時代の必然でもある。

小松左京、平井和正、筒井康隆、星新一、眉村卓、光瀬龍、豊田有恒、広瀬正、…。
もっともっといるのだろうが、ぼくでもこれくらいの作家は出てくる。
日本沈没、幻魔大戦、東海道戦争、ボッコちゃん、謎の転校生、東キャナル文書、退魔戦記、ツィスなどが作品。

SF作品は、範囲が広い。
科学的な解説を交えた小説もあれば、荒唐無稽なドタバタもあるし、歴史上の人物が出てくる小説もある。
だんだんSFの定義が広くなり、しまいにSF作家が書いていれば、SF作品と呼ばれたような気がする。
サイエンスという面は薄れて、フィクションの面が強い作品が増えて、しばらくした頃あたりからSFの人気に陰りが出はじめた。

ちょうど科学技術の進歩に対する確信が、以前よりなくなったことに呼応したような気がする。
アトム、サイボーグ009が終了し、子供のアニメも徐々に現実の世界になってきた。

そして、科学者と呼ばれる人たちのモラルも下がったのかもしれない。

今の原発をめぐっての「専門家」の賛成、反対の意見はどうだろうか。
誰が正しいことを言っているかわからない。
そもそも科学というものは客観的なもののはずだ。
それがエキセントリックなものになっている。

原発に対して、賛成でも反対でもかわまない。
しかし、放射能や汚染に対する見解は科学者同士で話しあって、決着をつけてほしい。
日本の科学者がダメなら、国際機関に頼めばいい。

とにかく、科学者ともあろうものが、恥ずかしくないのか。
わからないなら、わからないと言ってくれ。
今からでも、検証すればいい。

そういうものを科学というはずだ。



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