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2011.08.16 Tuesday
科学者
長男が入った研究室では、ぼくらの年代の先生がSFファンらしく、学生も読まないといけないらしい。
前にも書いたが、ぼくらが小中学校の頃はSFの絶頂期だった。 日本の国が科学立国を掲げていたし、ノーベル物理学賞は取ったし、今のような理科離れなど考えられない頃だ。 科学者=よい人だったし、今では無邪気と言われるかもしれないが、科学の進歩が生活を向上させると信じていたし、そういうことができるという時代でもあった。 だから、SFが流行ったのは時代の必然でもある。 小松左京、平井和正、筒井康隆、星新一、眉村卓、光瀬龍、豊田有恒、広瀬正、…。 もっともっといるのだろうが、ぼくでもこれくらいの作家は出てくる。 日本沈没、幻魔大戦、東海道戦争、ボッコちゃん、謎の転校生、東キャナル文書、退魔戦記、ツィスなどが作品。 SF作品は、範囲が広い。 科学的な解説を交えた小説もあれば、荒唐無稽なドタバタもあるし、歴史上の人物が出てくる小説もある。 だんだんSFの定義が広くなり、しまいにSF作家が書いていれば、SF作品と呼ばれたような気がする。 サイエンスという面は薄れて、フィクションの面が強い作品が増えて、しばらくした頃あたりからSFの人気に陰りが出はじめた。 ちょうど科学技術の進歩に対する確信が、以前よりなくなったことに呼応したような気がする。 アトム、サイボーグ009が終了し、子供のアニメも徐々に現実の世界になってきた。 そして、科学者と呼ばれる人たちのモラルも下がったのかもしれない。 今の原発をめぐっての「専門家」の賛成、反対の意見はどうだろうか。 誰が正しいことを言っているかわからない。 そもそも科学というものは客観的なもののはずだ。 それがエキセントリックなものになっている。 原発に対して、賛成でも反対でもかわまない。 しかし、放射能や汚染に対する見解は科学者同士で話しあって、決着をつけてほしい。 日本の科学者がダメなら、国際機関に頼めばいい。 とにかく、科学者ともあろうものが、恥ずかしくないのか。 わからないなら、わからないと言ってくれ。 今からでも、検証すればいい。 そういうものを科学というはずだ。 |
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