考えたこと2

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仰げば尊し
朝のドラマで、卒業式の場面があった。

もちろん、昭和の初期だからみんな「仰げば尊し」を歌う。
ぼくは、昭和44年、47年、50年と3回、小中高の卒業式を経験したが、3回とも「仰げば尊し」と「蛍の光」を歌った。
今は歌われていないらしい。

その理由はWikipediaによると、教師を崇めることが民主主義にそぐわない、ということと、歌詞が文語でわかりにくい、ということ、立身出世が民主主義的ではないということらしい。

しかし、ぼくは昭和50年でも歌ったのだから、民主主義にそぐわない、という理由ならもっと早く歌われなくなったはずだ。
日の丸、君が代に反対した日教組の影響があるのだろう。

久しぶりにドラマで、この歌を小学生が歌うのを聞くと、卒業式のことを思い出す。
小学校、中学校、高校と3回歌うと、だんだんと歌詞の意味がわかってくる。
わざわざ、歌詞の意味を教えるということはなかった。
それは、先生がその歌詞を教えない、という気持ちがあったんだと思う。

小学校など意味もわからず歌っている。
中学校になると、「我が師の恩」というものが歌われており、それは「尊し」とされるということがわかってくる。
高校になると、大体の意味がわかり、なるほどそういう歌か、ということがわかる。
大人になって、ついこないだ「今こそわかれめ」といのは係り結びで、「今、別れよう」という意味だとわかった。

歌詞の意味を教えずに、この歌を歌うというのは、ひとつの見識だと思う。
これは、きっと先生が、教師の自戒の歌だと思っていたのではないか。
中には、こんな歌を歌われたら困るという先生もいただろう。
かけだしの教師など、自分はそんなに立派ではない、という思いがあっただろう。

この歌の意味を教えずに歌うことの意味は、いくつかある。
一つは、生徒がこの歌の意味をいつか知り、そういうことだったのか、と思うこと。
二つ目に、当時を思い出して、我が師の恩を思うこと。
三つ目に、教師が毎年この歌を聞いて、自分の仕事をふりかえること。
この3つめの意味が忘れられている。

この歌を歌わなくなった頃から、学校が荒れだしたと思う。

学校で一番大事なのは、設備やランクや進学先ではなく、先生である。
それは誰がなんと言おうと変わらない。
何をおいても、先生なのだ。
いい先生との出会いは、一生の宝ものだろう。

それを心にとめて、「仰げば尊し」の歌詞と、昨今歌われるという「旅立ちの日に」の歌詞を比べてみると、卒業式に歌うべき歌は明らかだ。
この歌詞の意味を教えず、小中高で3回歌う。
これが大事なのだと思う。

年寄りは自分の経験が正しいと思っている。
人生にやり直しはないからなあ。


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