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2011.08.09 Tuesday
仰げば尊し
朝のドラマで、卒業式の場面があった。
もちろん、昭和の初期だからみんな「仰げば尊し」を歌う。 ぼくは、昭和44年、47年、50年と3回、小中高の卒業式を経験したが、3回とも「仰げば尊し」と「蛍の光」を歌った。 今は歌われていないらしい。 その理由はWikipediaによると、教師を崇めることが民主主義にそぐわない、ということと、歌詞が文語でわかりにくい、ということ、立身出世が民主主義的ではないということらしい。 しかし、ぼくは昭和50年でも歌ったのだから、民主主義にそぐわない、という理由ならもっと早く歌われなくなったはずだ。 日の丸、君が代に反対した日教組の影響があるのだろう。 久しぶりにドラマで、この歌を小学生が歌うのを聞くと、卒業式のことを思い出す。 小学校、中学校、高校と3回歌うと、だんだんと歌詞の意味がわかってくる。 わざわざ、歌詞の意味を教えるということはなかった。 それは、先生がその歌詞を教えない、という気持ちがあったんだと思う。 小学校など意味もわからず歌っている。 中学校になると、「我が師の恩」というものが歌われており、それは「尊し」とされるということがわかってくる。 高校になると、大体の意味がわかり、なるほどそういう歌か、ということがわかる。 大人になって、ついこないだ「今こそわかれめ」といのは係り結びで、「今、別れよう」という意味だとわかった。 歌詞の意味を教えずに、この歌を歌うというのは、ひとつの見識だと思う。 これは、きっと先生が、教師の自戒の歌だと思っていたのではないか。 中には、こんな歌を歌われたら困るという先生もいただろう。 かけだしの教師など、自分はそんなに立派ではない、という思いがあっただろう。 この歌の意味を教えずに歌うことの意味は、いくつかある。 一つは、生徒がこの歌の意味をいつか知り、そういうことだったのか、と思うこと。 二つ目に、当時を思い出して、我が師の恩を思うこと。 三つ目に、教師が毎年この歌を聞いて、自分の仕事をふりかえること。 この3つめの意味が忘れられている。 この歌を歌わなくなった頃から、学校が荒れだしたと思う。 学校で一番大事なのは、設備やランクや進学先ではなく、先生である。 それは誰がなんと言おうと変わらない。 何をおいても、先生なのだ。 いい先生との出会いは、一生の宝ものだろう。 それを心にとめて、「仰げば尊し」の歌詞と、昨今歌われるという「旅立ちの日に」の歌詞を比べてみると、卒業式に歌うべき歌は明らかだ。 この歌詞の意味を教えず、小中高で3回歌う。 これが大事なのだと思う。 年寄りは自分の経験が正しいと思っている。 人生にやり直しはないからなあ。 |
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