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2011.03.31 Thursday
some
"some"というのは、難しい単語だ。
いくつかの、という意味がメインの意味。 "some books"というと、何冊かの本という意味になる。 この"some"の使い方で、難しいのが"someday"だ。 "some days"なら、「数日」となるのだが、これが"someday"になると、「いつか」、という意味になる。 このときの、"some"は「どれか」という意味だろう。 「どれかの日」が転じて、「いつか」になる。 だから、"someone"は「どれかの人」となって、「誰か」になる。 "something"は、「どれかのもの」で「何か」になる。 日本語では、「いくつか」というのと、「どれか」というのは、全く違う言葉だが、英語ではニュアンスが近いのではないか。 もともと、"some"を「いくつか」というのが違うんだろう。 "some days"というのは、どれかの日、というニュアンスがあって、それが「いくつか」になるのかもしれない。 一日だったら、one day。 どれかを選べるということは、二日以上だから、結局「いくつか」になる。 そんな風に勝手に考えている。 言葉の違いというのは、意味の違いであり、世界を切り分ける言葉の種類をどうやって選ぶか、ということになる。 だから、厳密にいうと、言葉が違えば、世界の見え方も違わざるを得ない。 日本では虫の声というと、色々ある。 チンチロリンとか、リーンリーンとか、ガチャガチャとか、虫ごとに違う声を割り当てている。 これが英語ではchirpという言葉でひとくくりになるらしい。 日本の秋の虫の声がひとくくりで、同じ言葉になるとすると、だいぶ世界が変わる。 そういうことを考える上でも、外国語を習うのは価値があると思う。 |
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