考えたこと2

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some
"some"というのは、難しい単語だ。

いくつかの、という意味がメインの意味。
"some books"というと、何冊かの本という意味になる。

この"some"の使い方で、難しいのが"someday"だ。
"some days"なら、「数日」となるのだが、これが"someday"になると、「いつか」、という意味になる。

このときの、"some"は「どれか」という意味だろう。
「どれかの日」が転じて、「いつか」になる。

だから、"someone"は「どれかの人」となって、「誰か」になる。

"something"は、「どれかのもの」で「何か」になる。

日本語では、「いくつか」というのと、「どれか」というのは、全く違う言葉だが、英語ではニュアンスが近いのではないか。
もともと、"some"を「いくつか」というのが違うんだろう。
"some days"というのは、どれかの日、というニュアンスがあって、それが「いくつか」になるのかもしれない。
一日だったら、one day。
どれかを選べるということは、二日以上だから、結局「いくつか」になる。

そんな風に勝手に考えている。

言葉の違いというのは、意味の違いであり、世界を切り分ける言葉の種類をどうやって選ぶか、ということになる。
だから、厳密にいうと、言葉が違えば、世界の見え方も違わざるを得ない。

日本では虫の声というと、色々ある。
チンチロリンとか、リーンリーンとか、ガチャガチャとか、虫ごとに違う声を割り当てている。

これが英語ではchirpという言葉でひとくくりになるらしい。

日本の秋の虫の声がひとくくりで、同じ言葉になるとすると、だいぶ世界が変わる。

そういうことを考える上でも、外国語を習うのは価値があると思う。


| | 英語 | 23:03 | comments(0) | trackbacks(0) |

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