考えたこと2

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百聞は一見に…
百聞は一見にというと、しかず、という言葉が出てくるのは中年。

今は百聞は一見にしかり、というふうに間違えられているらしい。
今日ひょんなことから大学生のアンケートに書かれているのを見た人が、百聞は一見にしかずですよね、と聞いてきた。
そらそうや、というと、やっぱり、とのこと。
本人は気になって「百聞は一見にしかり」でグーグルで調べてみた。
そうすると、さすがに一番目には「しかず」が出てくるが、二番目以降はかなりの数誤用しているサイトが出てくる。
会社のページでも誤用している場合がある。
ということは、そういう風に覚えている人がもはや少数ではないということだろう。

しかず、というのは、如かずと書いて、〜の如くではない、という意味だ。
つまり、百回聞くのは、一回見るのと同じではない(一回見るほうがよい)という意味になる。

ところが、しかり、になると、百回聞くのは、一回見るのと同じようなもの、という意味。
これは全く逆の意味になる。
それでも、意味は大体の場合、しかず、の意味で使っている。

これをおかしいと思わないのは、しく、という文語を知らないからではないか。
しく+あるで「しかり」。
しく+ず(否定)で「しかず」。
これがわからないと、しかずの意味がわからない。

口調でいうと、百聞は一見にしかり、でもサマになる。

えらいことになってきたなあ。
ぼくらは文語をたくさん習ったわけではないが、古文には出てきたし、「椰子の実」や「仰げば尊し」などでその響きは覚えた。

情けは人のためならず,というのは、情けは人のためではなく、回りまわって自分のためになる(だから情けをかけなさい)という意味だ。
しかし今は、情けは人のためにはならないから、かけてはならない、という意味にとる人の方が多い。
これはそういう意味にとっても、まあおかしくない日本語だ。

しかし、百聞は一見にしかりは全く意味が違う。

困ったものだ…。


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