考えたこと2

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わからないままほっておく力
むかし、会社勤めをしていたころ、新入社員が入ってきたら、まずはみんなの雑用をやらせた。

仕事だからちゃんとやらないといけない。
しかし、ちゃんとやらせるためには、一通りの説明では難しい。
いろんな場合があるからだ。

関係部署からのデーターやFAXのファイルとか、データーの転記とかいう仕事であり、そのデーター一つひとつの意味とか、どこの部署はどういう役割だとか、そもそもこのテストはなぜしているのかとか…、説明しだすときりがない。

そういう時、一人の若い女性社員が新入社員に、「なんしか、こうすんねん」と言って教えていた。
もちろん、大ざっぱな説明はした上で、「なんしか…」という締めくくり。
「そのうち、わかってくるから」という追加の説明があった。

これはエライ。
この教え方で納得する新人はOKという事になった。

というのは、それが一種の能力だからだ。
「わからないことを、わからないままほっておく力」、これが大事だ。

なぜか。
とりあえず、わからないことは置いておいて、決められたことをやるというのは、何かを始める時には必要なことだ。
疑問を疑問のまま置いておく力と言ってもいい。

実際、やっているうちにわかってくる。
本当にわからないことは聞いてもよい。(ただし、メモを取らないヤツはダメだ。)
そうなると、教える方も本当にわかるように教えてくれる。
この感覚をつかめるかどうか、これが勝負の分かれ目だろう。
とにかく、わからなければできません、とか、なぜこれはこうなんですか?という質問をしまくる新人は興ざめする。
体験しないと、理解しにくいこともあるし、実際に「わかる」という感覚を得るには、時間がかかるものだ。
その感覚を持っていないと、伸びない。
他のことはよくわからないが、エンジニアとしては苦しいと思う。

しかし、そういう「いい加減さ」はどこから来るのだろうか。

それは何となく「ムダなもの」や「どうでもいいもの」に興味を持つとか、多趣味であるとか、逆に何かに一直線だとか、そういうところと関係があるかもしれない。
許容範囲が広いのか。
とにかく、「いい加減」なのだ。

そして、ぼくは、この「いい加減さ」こそが教養であると思っている。
教養がある、ということは、とりあえず疑問を疑問のままにしておける力があるということだ。

教えてもらって、わかることはしれている。
自分でわかることが必要なのだ。
教える方が、これは実際にやっているうちにわかる、というのなら、そうしてみよう、という余裕が必要だ。
そう、教養とは余裕であるかもしれない。

疑問を疑問のまま放置しておける力は、結局、何に対してもより深い理解につながるのではないか。

だいたい、疑問を疑問のまま放置しておくことができないなら、答えがない問いに耐えることができないではないか。

何かまとまりがないが、そんなことを長いこと考えている。

また、この話はそのうちに。




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