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2010.07.05 Monday
生き物
だいたい、「生きる」の反対は「死ぬ」であり、「死ぬ」の反対は「生きる」ということになっている。
これについては、異論がある人は少ないと思う。 でも、これに「いそぐ」がついたらどうなるだろう。 「生きいそぐ」というのは、「生を全うするのに、全力を尽くした」という感じで、要するに「死ぬ」ことだと思う。 結果として、亡くなった後、「生きいそいだ」という言葉が発されるのだと思う。 「死にいそぐ」というのは文字通り、「性急に死んだ」ということだろう。 結局、生きいそいでも、死にいそいでも、「死」を意味する言葉になる。 ただ、「生きいそぐ」というのは、本人が何か命を賭してやることがあったのだろう、という余韻を残す。 でも、「死にいそぐ」でも、生きていればまだやれることがあった、というもったいなさはある。 しかし、反対語の言葉に「〜いそぐ」をつけたのに、反対の意味になっていないのが不思議だ。 存在するかどうかはわからないが、「勝ちいそぐ」と「負けいそぐ」は、勝とうとすると、負けようとするという反対の意味になる(と思う)。 「痩せいそぐ」と「太りいそぐ」とか、「上りいそぐ」と「下りいそぐ」とか、やっぱり反対の意味だ。 どうして、生きると死ぬの場合だけ、反対にならないのだろうか。 生きている時に、「死にいそぐなよ」とは言うが、「生きいそぐなよ」とはあまり言わない(が使える)。 しかし、死んでからは、「生きいそいだ」も「死にいそいだ」も、どちらも使えるような…。 どうしても、死が生より強い。 もちろん、生がなければ死がないのだから、生は強いのだが、これは、ラッキーというか、運みたいなものだ。 生まれてくるのが運みたいなもので、でも、死は必然だから、やっぱり死は強いのだろう。 死なないものはない、ということに(たぶん、現在の科学では)なっている。 しかし、生を定義するものが何か、究極のところはわからない。 わかっていれば、臓器移植の問題はそこで線が引ける。 無理やりでないと、人間には線がひけないのだ。 それほど、あやふやなものが「生きもの」というもの。 一日、病気で寝ているとそんな事がうかんでくる。 |
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