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2010.06.08 Tuesday
最小不幸
最小不幸というのが管総理の言葉。
不幸を最小にする、ということらしい。 ぼくらが習ったのは、最大多数の最大幸福という言葉。 たしか、倫理社会の時間に出てきたと思う。 「個人の幸福の総計が社会全体の幸福であり、社会全体の幸福を最大化すべきである」というふうにwikipediaには書いてある。 イギリスの法学者、ベンサムという人の言葉らしい。 これに習うと、「個人の不幸の総計が社会全体の不幸であり、社会全体の不幸を最小化すべきである」というのが管氏の論理。 これは難しい議論だ。 何が幸福で、何が不幸か、それがわからない。 これは相対的なものだ。 幸福があるから不幸があり、不幸があるから幸福がある。 片方はそれを最大化するといい、もう片方はそれを最小化するという。 幸福や不幸というものがあるとすれば、幸福を基準にした方がイイと思う。 幸福が大きい方が、不幸が小さいよりマシだろう。 不幸は小さくてもあれば不幸だ。 不幸を最小にする、というのは不幸があることが前提だから、みんなが不幸を認識する。 不幸、不幸と言っていれば、不幸が幸福を食ってしまう。 少々幸福でも、それが幸福と思えなくなる。 それこそ、本当の不幸だ。 だから、幸福を最大にする、という方がいい。 幸福が小さいから不満だ、という方が、不幸が小さいからマシだ、というよりもいい社会だと思う。 もっと幸せになりたい、という方がこれ以上不幸にならなくてよかった、という社会よりもいいと思いませんか? だから、管政権はあまりよくないと思う。 |
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