考えたこと2

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尼子と毛利
今朝の朝ドラは見合いの場面だった。

内容はどうでもいいのだが、その見合いの席での会話が面白かった。

 「うちは○○の出身です」
 「ほー、そうすると毛利ですか?」
 「いや、うちは尼子ですわ」
 「ああ、そうですか。うちは毛利です。」

というような会話。

時代は1947年くらいか。

なぜ面白いかというと、こないだ書いた「三次(みよし)の祖母」が同じような話をしていたからだ。
祖母の家は尼子、祖父の家は毛利だったとのこと。
だから、祖母の家は小学校の演劇で、毛利の殿様をたたえる劇は見に行かなかった…。

尼子、毛利というのは戦国大名。
尼子は今の島根県のあたりで、毛利は広島県。

尼子は毛利に滅ぼされた。
これは戦国時代の話。それが昭和の時代まで語りつがれている。
いや、語りつがれているというより、尼子の殿様のことを、ついこないだまで生きていた人のように語っていた。

こんなところで、歴史はつながっていると思った。

人の一生は一本の線みたいなもの。
民族の歴史も一本の線みたいなものだろう。
上がったり、下がったり、まっすぐ行ったり…。

昭和の時代までは、つながっていたと思う。
つながり具合は弱まっていたかもしれないが、とりあえずつながっていた。

時代劇もあったし…。

今は切れてしまったような気がする。
過去とつながっていることは大事だと思うのだが、それが切れてしまって、よりどころを失ってしまった。

それが今の日本ではないか。

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