考えたこと2

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本当に自分がやりたかったこと
自分の夢について書く。

まず最初になりたかったのは、マンガ家だ。
今アニメが海外で注目されているが、ちょうどぼくらの小学校の時代が手塚アニメが出始めたころだった。
それまでのマンガとは違って、ストーリー性のあるSFもののマンガが描きたかった。

中学時代にはギターを始めたので、ギタリストになりたかった。
ちょうど吉田拓郎が広島フォーク村から出てきたころ。
歌を歌おうとは思わなかったが、プロのギタリストに憧れた。

高校になって、小説を読み始め、小説家になりたいと思った。
何か書きたかったが、結局書けなかった。
書けなかったというより、書こうとしなかったというべきか。

大学になって、落語研究会に入り、落語家になりたいと思った。
落語ブームは中学のころに終わっていたが、上方落語の隆盛時代だった。

また、シンガーソングライターという人たちが定着し、ぼくもなりたいと思った。

会社に入って、小椋佳を聞き、これならできるのではないかと思ったりした。
もちろん、できるわけがない。
会社に入っても、まだ夢を持っていたのだから、いい加減なものだ。
往生際が悪い。

でも、大多数の人はそうなんだろうなあ。

だいたい、その時に流行っていたことや、その時偶然自分がやっていたことを延長して、夢にしているような気がする。
結構イージーなものだ。

多くの人は、これらが「本当に自分がやりたかったこと」だ、と思う。

それはそうなのだが、この年になると、「本当に自分がやりたかったこと」などなかったのではないか?と思えてくる。

「本当に自分がやりたい」と思っていただけ、の事はある。
しかし、実力がなかったり、実行できなかったりして、結局は「本当に自分がやりたいこと」など存在しない。

しかし、中には実際にやってみる人もいる。
路上ライブで頑張ったり、CDを自主制作したり、原稿を持ち込んだり…。
今はだいぶやりやすくなっている。お金はさほどかからない。
インターネットもできた。
モラトリアムの時間もある。

しかし、そういう人にしても、「本当に自分がやりたかったこと」にトライはしたが、結局はあきらめるというパターンをほとんどが歩む。

となると、本当に自分がやりたかったことを、実際にやってみていないわけだから、本当に自分がやりたかったことが「本当に自分がやりたかったこと」かどうかはわからないのだ。
確かめようがない。
やってみたら、つらいことも苦しいことも見えてくるだろう。

ぼくは、今になって、「本当に自分がやりたかったこと」など存在しないとわかった。
だから夢なのだ。

「本当に自分がやりたかったこと」は夢だから、「自分がやっていること」を「本当に自分がやりたかったこと」にできるかどうかが、勝負だと思う。

何でもよいのだ。
自分のやっていることに満足感を得られるかどうか。
楽しみが持てるかどうか。
そういう努力をできるかどうか。
そういう仕事にしていけるかどうか。

天職という言葉があるが、これは結果論だ。
仕事をしてきて、何かを成し遂げた人に聞くと、そういう言葉がでる。
でも、たいがいその仕事を天職だと思ってはじめたりしていない。
いやいややり始めたという人の方が多いと思う。
そういう人が、仕事をふり返って、天職だという。
自分でその仕事を天職にしたんだろう。

いつまでも、「本当に自分がやりたかったこと」を追い求めると、人生が不毛になる。

今の教育はそれを推奨しているような気がする。
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