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2009.11.05 Thursday
エリクソンの発達段階 その2
昨日の続き。
他人のことはさておき、自分の発達段階は壮年期の終わりに当たる。 一般的には、52歳というともうすぐ親を卒業し、老年期に入るという年だろう。 世間並みにぼくもそういう年になった。 壮年期の危機は停滞だそうだ。 だが、壮年期の発達段階を乗り越えると、世代性が手に入るという。 世代性、難しい言葉だが、自分たちの世代を大事にしたいという意味もあるし、若い世代を育てたいという意味もある。 「ぼくらの時代」という意識、これは小田和正の歌だ。 たしかに、ぼくは最近になって、世代という言葉に敏感になったし、自分の世代に名前をつけたりした。 「昭和ひと桁ジュニア」がぼくらの世代だと思う。 そんなふうに、親の世代と自分の世代を関係づけたのは、発達の段階だったのか…。 もうちょっとの間、壮年期にとどまって、それから老年期に入る。 この発達段階を乗り越えられないと、絶望になる。 うまく乗り越えると、統合性が身につく。 統合性もむずかしい。 これは、自分の死を受け入れるために必要ということだろうか。 あと10年ほどで、自分の死を受け入れるという気持ちになるのか…。 一連のエリクソンの発達段階というのは、自分に当てはめたとき、それなりによくできている。 いつ死ぬのかはわからないが、人は死ぬまで発達し続けるというリクツは面白い。 エリクソン、えらい。 |
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