考えたこと2

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エリクソンの発達段階 その2
昨日の続き。

他人のことはさておき、自分の発達段階は壮年期の終わりに当たる。
一般的には、52歳というともうすぐ親を卒業し、老年期に入るという年だろう。
世間並みにぼくもそういう年になった。

壮年期の危機は停滞だそうだ。
だが、壮年期の発達段階を乗り越えると、世代性が手に入るという。

世代性、難しい言葉だが、自分たちの世代を大事にしたいという意味もあるし、若い世代を育てたいという意味もある。
「ぼくらの時代」という意識、これは小田和正の歌だ。
たしかに、ぼくは最近になって、世代という言葉に敏感になったし、自分の世代に名前をつけたりした。
「昭和ひと桁ジュニア」がぼくらの世代だと思う。
そんなふうに、親の世代と自分の世代を関係づけたのは、発達の段階だったのか…。

もうちょっとの間、壮年期にとどまって、それから老年期に入る。

この発達段階を乗り越えられないと、絶望になる。
うまく乗り越えると、統合性が身につく。

統合性もむずかしい。
これは、自分の死を受け入れるために必要ということだろうか。

あと10年ほどで、自分の死を受け入れるという気持ちになるのか…。

一連のエリクソンの発達段階というのは、自分に当てはめたとき、それなりによくできている。

いつ死ぬのかはわからないが、人は死ぬまで発達し続けるというリクツは面白い。

エリクソン、えらい。


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