考えたこと2

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過ぎ去りにし
弘田三枝子の歌を聴いていると、歌詞の中に「過ぎ去りにし季節」というのが出てくる。

これは、「過ぎ去りし」というのではないか…、と思っていたが、そうでもない、と思い当たった。

「過ぎ去りにし」、は「過ぎ去る+ぬ+し」で「過ぎ去る+し」とは意味が違う。

「過ぎ去りにし」が「過ぎ去ってしまった」で、「過ぎ去りし」は「過ぎ去った」という意味。
英語でいうと、過去完了と過去の違いになるのか…。

過ぎ去りにし日々というのは、過ぎ去ってしまった日々という意味だとすると、ふんふん、なるほど…という感じになる。

「過ぎ去りぬ」と「過ぎ去る」の違いは明白だが、「過ぎ去りにし」と「過ぎ去りし」の違いはぱっとわからない。
もう、使わなくなって久しいからだろうか。

過ぎ去りし日々、というのは、どこかの歌詞で聞いたような気がする。
でも、過ぎ去りにし日々、というのは「あれ?」と思う。

過ぎ去りにしは、もう古語になっている。
日本語なのに、意味が伝わらないのだ。

昔の人は、このニュアンスの違いをはっきりわかっていたのだろうか。

文語体が使われなくなって、その細かいニュアンスがわからなくなった。

でも、わかってみると「過ぎ去りにし季節」という文語、なんだか締まった日本語で好きだ。

文語体、いいと思う。

小学校の頃、唱歌は文語体のものが多かった。
椰子の実、おぼろ月夜、村の鍛冶屋、春の小川…。

前にも書いたような気がするが、こんな歌に親しんで、ぼくらは文語の響きを覚えた。
こういう経験をなくしてはいけないと思うのだが…。



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