考えたこと2

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昭和32年
昭和32年というと、ぼくが生まれた年。

よく考えたら、終戦が昭和20年だから、戦争が終わってから12年しか経っていない。

ぼくがものごころついた時には、戦争などあとかたもなかった。

阪神大震災から10年、神戸の街はきれいになったが、当時の神戸は震災どころではない状態だっただろう。
神戸も空襲があった。
それから思うと、よく復帰したものだ。
重機も少なかっただろうし、人手だって足りなかっただろう。

ものごころつくのに4年かかるとして、16年か。
いまだに、本当に戦争があったということが信じられない。

昭和20年に終戦を迎えた。
ぼくらは戦争を知らない子どもたちだ。

でも、今は戦争を知らない子どもたちを知らない子どもたちの時代。

しかたがない事だが、これでいいのだろうか。

おとなりの韓国や中国はそれを語りついでいるのに、日本では教育もしない。
第二次大戦に対するスタンスも決まらない。

この状態でアジアとうまくやっていけるのだろうか。

謝るとか、もう終わったとか、そういうことではない。

日本人があの戦争をどう位置づけるのか、それが問題だろう。

戦争は悪いとか、平和が大事だとか、そんなことではないのだ。

それが問題だろう…。


| | 考えたこと | 01:19 | comments(2) | trackbacks(0) |

コメント
ウチでも、終戦と阪神大震災のことが話題になったことがありました。

終戦〜生まれた年 < 阪神大震災〜今

これを改めて認識した時、当たり前のことだけど、すごく衝撃でした。

生まれた時のことは覚えていないけれど、物心ついた頃、
終戦の跡形があちこちにあったのかも・・・

なんとなく記憶にあるのは、街角に立っていた「傷痍軍人さん」

はっきり覚えているのは、母校(高校)が戦争中、
真っ黒に塗られていたらしく、校舎が黒かったこと。

| SA | 2009/04/30 6:53 PM |

そうなんですか。

戦争中は黒く塗ってあったんですか。
空襲を避けるためなんでしょうか…。

そういうちょっとしたことでも、記録に残したいですよね…。

戦争はよくないということと、戦争のことを語るということは別のことだ、ということがわかってなかったんでしょう。


| suzy | 2009/04/30 11:02 PM |

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