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2009.03.18 Wednesday
修理
実家のパソコンが壊れた。
なんでも、スーッと画面が消えたとのこと。 ジョーシンで買ったので、一応5年くらい経っているが、そこに持って行った。 電源を入れてみて、真っ暗な画面のままなのを見て、これは基盤がやられているから5万くらいかかりますよとのこと。 まあ、ダメもとで修理の見積もりを出してもらうことにする。 今日電話がかかってきて、やっぱり基盤がやられていたので5万400円かかるらしい。 すごい額だ。これで修理をする人はいないだろう。 修理代が原価のほぼ半分とは…。 基盤そのものを変えるから5万400円かかる。 やられているのは、基板上のどこかの部品一つである。 その単価はおそらく高くても数百円だろう。 でも、どこがやられているのかを判断することができないのだ。 判断できる人のコストが高いから、基盤そのものを変える。 完全にブラックボックスになってしまっている。 前にも書いたが、「新品を買った方が安いですよ」というセリフだ。 確かに、モノによっては修理に出したら、新品を送ってくることもある。 電化製品は、何でもかんでも事実上修理不能になっていく。 ラジカセ、ウォークマン、テレビ、ラジオ、ビデオ、掃除機…。 確かに新品が安くなっていることは事実だ。 でも、修理できるものまで新品に買い換えているような気がする。 昔は、街の電気屋さんでも、ハンダごてを持ってテレビの修理をしてくれるところがあった。 当時のことだから、真空管だ。 ところが、トランジスタができ、ICができたころから怪しくなってきた。 どんどん回路の集積化が進み、小型化し、性能が上がり、そして中がわからなくなった。 消費電力も少なくて、信頼性も高くて、いいことだと思う。 でも、いざ壊れたら、基盤を一気に変えることしかできない。 機械が便利になって、どんどんそういうことが起こっていく。 自動車もそうだ。 今のエンジン回りはコンピューター化されているから、簡単にいじれない。 でも、コンピューターを変えると、とたんに馬力が上がったりする。 世の中から、中味が分かっている人の数がどんどん減っている。 それは、ものが高度化し、よいことだろうとは思うが、本当にこのままでいいのだろうか。 携帯電話なんかを見ていると、そう思う。 もういいのではないか…。 |
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