考えたこと2

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ケプラーの師匠
ヨハネス・ケプラーというと、惑星の動きについての法則を見出した人。
天文学の基礎、物理学の基礎を作った人でもある。

以前、古本で買った「物理学とは何であるか」という、ノーベル物理学者の朝永博士の本に書いてあった。

ケプラーの名前は、科学の歴史を作った人として記録されている。

しかし、ケプラーがその仕事をできたのは、師匠であるティコ・ブラーエという人が王室で金をもらって、従来にない高精度の観測を行い、しかもそれを16年も続けて記録したデーターがあったからとのこと。

ティコ・ブラーエという人は、そんなふうに歴史に残っている。

すごい人だと思う。

まず、王室に頼んで、天文台を作ってもらったこと。
それを作ることの重要性を訴えるという交渉をしたのだろう。

そして、観測を16年も続けたこと。

本によるとこの人は、観測はしたものの、数学の才能がなく、どうデーターを解析したらいいのかわからなかった…らしい。
当時はまだ太陽が動いているのか、地球が動いているのかもめていた頃で、どう星の位置のデーターを分析したらいいのかもわからなかった時代。
しかし、それにもめげず、16年間も精度の高い観測を続ける根気があったということだ。

惑星の動きだから、1年程度のデーターでは話にならない。
お互いの位置が大きく変わる範囲でデーターがなければならなかっただろう。

この人がいなければ、どんなにケプラーがえらくても、そもそも考えることすらできなかったはずだ。

天才の影に、それを支えた人がいる。

今の言葉でいうと、意義を説明して予算を取り、着実に実行するという力。

ケプラーのデーター分析力と創造力はすばらしい。

しかし、予算を取って着実に仕事を実行したティコ・ブラーエという人は、えらいと思う。

ティコ・ブラーエという人、最期はケプラーの才能を信じて、自分のデーターを全て彼に託して亡くなったとのこと。

ケプラーは天才だが、ティコ・ブラーエみたいな人も、そう簡単には見つからない…と思う。



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