考えたこと2

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マイケル・J・フォックス
以前、「ラッキーマン」というマイケル・J・フォックスの本について書いたが、今日は前に見た「ドク・ハリウッド」という彼の映画をもう一度見た。

ところどころ、記憶と違うところがあって、人間の記憶はいい加減なもの…と思い知ったが、それは彼がスゴイ役者であることとは関係ない。

ひょんなことからロスの病院に赴任するはずだった若い医師が、クルマの故障で南部の田舎町の病院(といっても、医師は一人だけ)で仕事をすることになってしまう…というのが彼の役どころ。

セレブで都会的な生活に憧れて、自分は故郷を捨てた。
憧れたその生活が待っているのに、しかたなく南部の田舎で過ごす。

町の人たちとふれあい、救急車の運転をしている女性に恋し、ロスに行くべきか、ここにとどまるべきかを悩み始める。

そして、町のみんなに見送られてロスに去るのだが…。

「ラッキーマン」の中で彼は、「ぼくはコメディ=悲劇+時間というジョーク・ライターの公式の信奉者なので…」と言っている。

こういう映画を見ると、この公式が正しいことがよくわかる。

クルマが壊れて、ロスに行けず、南部の町で働かざるを得なくなるという悲劇。
そして、時間が経っていく。
カードも使えないし、ロスとは何から何まで違う町での生活…。
まさに、悲劇+時間という公式どおり。

そこで、彼の言う「人生のある面を笑い飛ばせる能力」を発揮するのだ。

この映画がコメディであり得るのは、彼がその「人生のある面を笑い飛ばせる能力」を持った人間として役をこなしているからだろう。

彼は、自分がコメディ役者としてのキャリアをかけて、自分がパーキンソン病に罹っている、という発表を行うときに「ぼくはこの発表を人生においても、仕事の面でも自分が前に進む方法と見ていて、追いつめられた結果とは考えていなかった。」と書いている。

そんなふうに、自らの人生に対しているからこそ、こういう役をやって笑いをとれることができる。

その意味で、彼は一流のコメディアンなのだ。

こないだ、ドラマのゲストで出ているのを久しぶりに見た。
病気でもうすぐ死ぬ大金持ちという役だったが…。

パーキンソン病と闘いながら、がんばっている。

「神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、自分に変えられることは変える勇気と、そしてそのちがいがわかるだけの知恵をお与えください。」

彼が毎日祈っている言葉。

がんばれ、マイケル。







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