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2008.02.16 Saturday
判断基準
それ、おもしろそうやな…。
人間はいろいろとリクツをつけるが、結局こんな言葉で動いているのではないか。 だから、おもしろいと思えることは大事だ。 落研時代のぼくらはまさにそうだった。 先輩の誰かが置いていった碁盤の両端に碁石を並べ、それを生協の食堂のわりばしではじいて、石の落としあいをやるゲームを考案し(というほどのものでもないが…)、「はしご」と名付けてトーナメントの選手権をやったことがある。 だれがやり始めたかは覚えていないが、みんなで必死にやった。 わりばしの使い方が難しい。両手を使ってはじくヤツ、箸の端を持つヤツ、真ん中を持つヤツ…、いろいろ工夫した。 部員一人ひとりのテーマソングを作ったり、すごろくを作ったり…。すごろくには「バス停で、かしまし娘のテーマソングを歌う」というような場所があって、大笑いしながら作ったが、やりはじめると必死になった。 もちろん、落語の練習もやったのだが…。 「オモロイ、やろやろ…」が始まりだった。 会社に入っても、残業している仲間で「こんなんどうやろ?」「それ、おもしろそうやな」という会話から新しいアイデアが出てきたこともある。 ソニーもホンダもマイクロソフトもグーグルも、会社の初めは、そんなことからできたのだろう。 井深さんは、ソニーの前身の会社を作るときに「自由闊達にして愉快なる理想工場」と書いた。 「愉快なる」という言葉が素晴らしい。 愉快でないと、新しいアイデアが生まれたり、挑戦ができたりはしないのだ。 いろんな製品やサービスを生み出すとき、「こうしたら、売れるやろ…」は大事だと思うが、最初は「これは、おもしろい…」であったはず。 サントリーの精神は「やってみなはれ」。これは「おもしろいと思ったら、やってみなはれ」だと思う。 そうやって、おもしろいと思えることが、社会を豊かにしていく。 おもしろいは大事だ。 逆に言うと、人間は、おもしろいと思えるようにやらないと、創造的になれないと思う。 だから、おもしろいと思えることがたくさんある方がよい。 そのために、本を読んだり、友だちと遊んだり、いろいろ勉強したりする。 これ、おもしろそうやろ…。 そう言いあえる仲間がいることも大事かな。 |
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