考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
「笑わせる」と「笑われる」
桂米朝の弟子で最も人気があったのが、桂枝雀。
自殺されたのは、残念だった。

師弟ではあるが、米朝と枝雀は落語に対する考え方が対照的だと思う。

米朝がどこかで言っていたが、枝雀が自分の落語を聞いて笑うということがわからない…ということだった。

米朝にとっては、落語というのはお客さんを「笑わせる」ものであり、計算されたセリフや間、話し方などを研究して、演じているものだったと思う。
これが普通の落語家の考え方なのかもしれない。
だから、自分の落語はそれを分析的に聞くものであり、笑ってなどいられない。

生前の枝雀が言っていた、彼の究極の舞台というのは、自分が高座に上がり、何も話さずそこにいるだけで、お客さんが楽しく笑う…というものだ。
これは、お客さんを「笑わせる」というよりも、自分が「笑われる」存在になれればいい、というように思える。
枝雀は「笑われる」ことを望んだから、自身の落語を聞いて、自分も笑っていたのだろう。

演者の姿勢の根本が違っている。

もちろん、枝雀の落語にはたくさんの技法、工夫が入っている。
だからこそ面白いのだ。
落語家である以上、その話芸をみがくという点では両者に変わりはない。
ただ、枝雀は技術を追い求めて「笑わそう」と思ったのではなく、どうやったら自身の落語を通じて、自分を「笑ってもらえるか」を考えたのだと思う。

自分が「笑われる」ためには、きっと自分を一度突き放さないといけないのだと思う。
外から自分を見ることができないと、どうやったら「笑われる」かはわからない。

真のエンターティナーというのは、「笑われる」ことをめざすタイプだとぼくは思う。
「笑わせる」という姿勢にはきっと限界がある。

それは、厳しく苦しいことでもあるのだろう。
技術の問題だけではなく、全人的な問題にもなってくるからだ。

泣かすよりも笑わす方が難しい。

でも、お客さんに、愛情をこめて笑われることはもっと難しい。





| | 考えたこと | 23:36 | comments(2) | trackbacks(0) |

コメント
毎回、感心して『考えたこと』拝読致しております。
日々、いろんなこと考えてはりますねぇ〜。すごい!!

私は上手に思ったことを文章に出来ないし、頭に浮かんだものを伝え切れないので、ついついコメントを控えていましたが、今日はがんばってみます。

私も落語大好きでいろんな落語家さんの落語を楽しみました。桂枝雀は面白い落語をする人だと思っていましたが、自分の好きな落語家ではないと思っておりました。
何で面白いのに好きやないんやろ〜?とちょっと疑問だったのですが、今日の「笑わせる」と「笑われる」を読んで何となく自分の中で疑問が少し解けたような気がします。

私もかつて自分が演じる時期が少しあったのですが、やはり「笑わせる」ということしか考えていなかったのだと思います。
枝雀さんの落語は真似出来るものでもないし、あんな風に演じたいと思ったこともなかったなぁ〜。それが好きではない理由だったのかも知れません。

枝雀さんそのものが「笑い」につながるのは、そこに至るまでの時間的な積み重ねがあってこその「究極の芸」だったのでしょうね。確かにニコニコ笑って座布団に座っているだけで面白かった。

枝雀さん自身が枝雀さんの思う「究極の芸」に到達してしまったので、生きていく目標がなくなってしまってのかな?
桂枝雀という人は良くも悪くも自分大好き人間だったのでは・・・?

これで良しなんて事のない芸事だからもっと進化した「笑われる」枝雀さん観たかったですね。

でも、国宝になっても老いはやってきますが・・・。

| m | 2008/01/20 1:43 PM |

いつもありがとうございます。

私も、自分が落語をやり始めた頃は、あまり枝雀は好きではありませんでした。
やっぱり仁鶴でしたね。

でも、3年くらいで見方が変わりました。
やっぱりスゴイなあ…と思いました。
あそこまで「アホ」を演じるというか、「ズビバゼンネ〜」とか、「です、ます」調の上方弁を使うところなどは、「間」やギャグというより、枝雀が描く愛すべき「ボケ」の表現であり、古典落語というより、枝雀の落語というところまで来ていたと思います。

でも、それを続けるのはしんどいことだったのかもしれません。
自分大好き人間ではあったと思いますが…。

落研の中でも、自分のテープを聞くのが好きな人と、聞きたくないという人の2つに分かれました。
私は自分のテープを聞くのが好きなので、枝雀には親近感があります。

今思えば、私は「笑わせる」のがヘタだったので、勢いで「笑われる」方をめざしていたような気がします。

それにしても、惜しい人を亡くしましたね…。

| suzy | 2008/01/20 11:53 PM |

コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/233423
トラックバック