![]() |
2008.01.08 Tuesday
昭和ひと桁ジュニア
今の人口動態で、キーとなるセグメントは世代に名前をつけて呼ばれている。
団塊の世代、団塊ジュニア、新人類…。 ぼくらは団塊の世代のあとの世代である。 三無主義(無気力・無責任・無関心/無感動)などと呼ばれたり、シラケていると言われたり…。 どこまでいっても、「団塊の世代のあと」の世代となる。 実際には何も変えることができなかった学園紛争、安保闘争…それらの騒ぎを小学校〜中学校の時に見て育ち、浅間山荘事件を高校の時に見て育った。 「戦争を知らない子どもたち」を団塊の世代を追いかけて歌っていた。 その歌が世に出た70年代がティーンエージャーの幕開けだった。 拓郎、陽水(彼ら自身は団塊の世代だった)らがその前の世代のフォークソングを「流行歌」に変えていき、シンガー・ソングライターというジャンルを作り、そして、同世代のユーミンや竹内まりや、山下達郎、桑田佳祐(サザン)らが出てきた時代。 自分ではそんなに無気力だとも思わないし、しらけていたとも思わない。 ぼくらの名前は何なのか?ずっと心にひっかかっていたが、今日わかった。 ぼくらは「昭和ひと桁ジュニア」なのだ。 父も母も昭和ひと桁だった。 一番多感な時代に戦争を体験した世代。 親は「私らの世代は、何も信じる気にならない。戦争で何もかもひっくり返ったから…」と言っていた。 ひょっとしたら、親の世代の「何も信じる気にならない」という思いを受け継いで、三無主義などと言われていたのかもしれない。 奇しくもゼロックスの有名なコピー、「モーレツからビューティフルへ」というCMが流れたのが1970年。 それを見て、父は少し苦々しく思っていたのではないかと思う。 入学式や卒業式に父親が来ることなどあり得なかった。 家族そろって夕食を食べるのは、休日だけ。土曜日も半日は出勤が当たり前の時代。 高度成長の時代を支えて、これからという時にオイルショック…。 でも、文句を言わずに働いてきた世代のジュニアがぼくらの世代。 今日は、自分に「昭和ひと桁ジュニア」という名前をつけて、少しスッキリした。 独りよがりです。 |
![]() |