考えたこと2

2024.9.24から、今までhttp:で始まっていたリンクが、https:に変わります。申し訳ありませんが、リンクが見られないときは、httpsに変えてみてください。
CALENDAR
<< April 2025 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
+RECENT COMMENTS
+CATEGORIES
+ARCHIVES
+PROFILE
+OTHERS
昭和ひと桁ジュニア
今の人口動態で、キーとなるセグメントは世代に名前をつけて呼ばれている。

団塊の世代、団塊ジュニア、新人類…。

ぼくらは団塊の世代のあとの世代である。
三無主義(無気力・無責任・無関心/無感動)などと呼ばれたり、シラケていると言われたり…。
どこまでいっても、「団塊の世代のあと」の世代となる。

実際には何も変えることができなかった学園紛争、安保闘争…それらの騒ぎを小学校〜中学校の時に見て育ち、浅間山荘事件を高校の時に見て育った。
「戦争を知らない子どもたち」を団塊の世代を追いかけて歌っていた。

その歌が世に出た70年代がティーンエージャーの幕開けだった。

拓郎、陽水(彼ら自身は団塊の世代だった)らがその前の世代のフォークソングを「流行歌」に変えていき、シンガー・ソングライターというジャンルを作り、そして、同世代のユーミンや竹内まりや、山下達郎、桑田佳祐(サザン)らが出てきた時代。

自分ではそんなに無気力だとも思わないし、しらけていたとも思わない。

ぼくらの名前は何なのか?ずっと心にひっかかっていたが、今日わかった。

ぼくらは「昭和ひと桁ジュニア」なのだ。

父も母も昭和ひと桁だった。
一番多感な時代に戦争を体験した世代。

親は「私らの世代は、何も信じる気にならない。戦争で何もかもひっくり返ったから…」と言っていた。

ひょっとしたら、親の世代の「何も信じる気にならない」という思いを受け継いで、三無主義などと言われていたのかもしれない。

奇しくもゼロックスの有名なコピー、「モーレツからビューティフルへ」というCMが流れたのが1970年。

それを見て、父は少し苦々しく思っていたのではないかと思う。
入学式や卒業式に父親が来ることなどあり得なかった。
家族そろって夕食を食べるのは、休日だけ。土曜日も半日は出勤が当たり前の時代。

高度成長の時代を支えて、これからという時にオイルショック…。
でも、文句を言わずに働いてきた世代のジュニアがぼくらの世代。

今日は、自分に「昭和ひと桁ジュニア」という名前をつけて、少しスッキリした。

独りよがりです。



| | 考えたこと | 01:18 | comments(0) | trackbacks(0) |

コメント
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://hdsnght1957kgkt.blog.bai.ne.jp/trackback/233411
トラックバック