考えたこと2

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人生の精算
数学や物理には真理と呼ばれるものがあるが、俗事になると真理というものがぼやけてくる。

誰にとっても正しく、誰にとっても価値があるものが明確にはならない。
人によって、宗教によって、民族によって、置かれた環境によって、真理は違ってくるだろう。

それでも、ただ一つ、生きていく上で間違いのない真理がある。

それは人は必ず死ぬということ。

生命が尽きるということである。

尽きる年齢に違いこそあれ、これだけは真理だ。

「一期一会」という言葉は、結局は「過去も未来もなく、今しかたしかなものはない」ということを言っているのだと思う。
「今」が終わる時がこの世を去る時である。

その時に、自分の人生をどう思えるのか。
身近な人の死を迎えると、そんな思いがよみがえる。

二十数年前、会社に入った時、役員の講話があって、エライ人から「君らは、今この会社に入って、今どんなことを考えているのか?」と聞かれた。

入社後の抱負など考えていなかったし、仕事をするしかないとしか思えてなかったぼくは、「何十年か働いて、辞める時にこの会社に入ってよかったと思いたい」と言った。

「えらい哲学的な答えやな…」と言われたが、それ以上は質問されなかった。
質問した役員も、そんなことを思っていたのかもしれない。

結局は25年間という中途半端な時間で会社を辞めて、仕事を変わったのだが、「この会社に入ってよかった」と思って辞めることができたのは、公約を果たせたということになるのかもしれない。

数年前までは、この世の生活を精算する時に、どう思うんだろうか…と思っていた。
人生の意味、何のために生きているか…みたいなことだ。
そして、そんな精算自体ができるんだろうか?と思っていた。

ところが、40を過ぎてしばらくして、そんなことは考えても仕方がないと思うようになった。
それは、きっとその時になったらわかる、という気持ちになったからだ。
その時、その瞬間に、きっと「なるほど、そうやったんか」とわかる。
その時にならないと、わかるはずがない。人間には「今」しかないのだから。

それからは人生の精算に対する思いは減った。

でも、時々は顔を出す。

先に逝った人が、いつか精算する時にそなえて、「今」を考えなさい…という機会を与えてくれているのかもしれない。




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