考えたこと2

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落語と漫才
「間」というものがある。

話し言葉でいうと、セリフとセリフの間の時間のこと。
この時間が短いと、つっこみ気味になるし、長いと、もたれ気味になる。

落語ではこの「間」が重要だ。
お客さんによって、最適な「間」がある。

老人ホームで落語をやる時は、長めの間を取る方がよい。
若い人が相手なら、短めにしないといけない。

間が短いほど、テンションの高い話し方になる。
短い間の時は、声の調子も上がるのが普通の話し方だ。

落語と漫才の決定的な違いは、この「間」であると思う。

落語は一人の人間が話すので、どうやっても、二つのセリフを同時に発することはできない。
セリフを「かぶせる」ことができないのだ。

「何でやねん」というひと言を、前のセリフを言い終わる前に言うことができるのが漫才。

当たり前のことだが、これはすごいことだ。

落研の時に、先輩と組んで漫才をやったことがある。
一度やると、その威力に驚いてしまう。

「何でやねん」「そんなアホな」というような言葉を、相手のセリフが終わる前にかぶせて言う。
落語では絶対に到達不可能なテンションの高さである。
そして、そこで笑いがとれる。

実際にやってみて、初めてその違いの大きさがわかった。

一人で喋って、その限界をカバーするのは大変だ。
そこに落語の話芸のすごさがあるのだと思う。

ひとつは、古典落語という、永く語りつがれてきた「噺」そのものの強さ。
時間に耐えてきたものは素晴らしい。

もう一つは一人で複数の人物を語り分けるという状態。
じっと座って、顔の向き、仕草、目線、声質などで場面を想像させる。
そのシンプルさが、逆に聞き手の想像力をふくらませることができるのだろう。

何もない空間に、漫才では見えない世界を作ることができる。
それが、笑いをとるための力を与える。

落語と漫才…どちらも奥が深い話芸だが、落語の魅力も捨てたものではない…と朝のドラマを見ていて思った。



| | 考えたこと | 01:22 | comments(4) | trackbacks(0) |

コメント
そうですよねえ。落語・・・やっぱり面白いです。

小さい時から 私の息子は、誰も聞いていなくても、自分でボケて、自分でツッコミを入れてます。ケッサクですよ。
親としては、心配するべき所かもしれませんが・・・・・

| 第七世松田久冬海 | 2007/12/07 8:42 PM |

大阪の子どもは小さい頃から吉本を見て、自然とボケ、ツッコミを覚えていくというのが土地柄なのでしょう。

関西人はそうやって大きくなっていきますね…。

これも文化というのでしょうか。



| suzy | 2007/12/08 12:36 AM |

僕も朝ドラちりとてちんは、土曜日の午前中にBSで、
1週間分まとめて見てますよ。。
思った以上に面白いです。
落語のネタを踏まえて言ってるようなセリフは、
こちらがよくわかってたら、もっと楽しめる
んだろうに。。
| sandasun | 2007/12/12 6:06 PM |

今週から、ちょっと恋物語になってきて、落語の比重が軽くなってきましたね。

それはそれでおもしろいのですが…。

ドラマの中で、弟子たちが話している場面は落研を思い出させます。
もちろん、あんなに厳しくないですけど。

なつかしいです。

たしかに、いろいろなネタのかけらがちりばめられていて、時々ニヤッとするところがあります。



| suzy | 2007/12/13 12:59 AM |

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