考えたこと2

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尼子と毛利
戦国時代の大名、毛利元就が「三ツ矢の教え」というのを残した。

一本の矢を折るのは簡単だが、三本まとまるとなかなか折ることはできないというもので、元就が子どもたち3人に協力してやっていけ、ということを教えたものと言われている。

うちの父は広島出身で、祖母が生きている時にはよくこの話を聞いた。

聞いたといっても、肯定的に聞いたのではない。
昭和初期の広島の小学校では、毎年の文化祭(みたいな催し)で、毛利を称える劇をやっていたらしい。
それをゼッタイに見に行かなかった…という話を聞いたのだ。

祖母は昔の毛利藩にあたるところではなく、尼子藩(現在の島根県)の出身だった。
尼子藩は最終的に毛利家に滅ぼされてしまった。
だから、毛利は尼子にとって仇になる。
「毛利の劇など見に行けるか」ということだ。

明治生まれの祖母だったとはいえ、戦国時代からは300年くらいの年月が経っている。
それでも、「毛利は仇だ」という意識があった。
きっと、祖母はその親やそのまた親から、その話を聞いていたのだろう。

祖母の祖母あたりは、まちがいなく江戸時代の人であり、廃藩置県の前の生まれだろう。
それでも、尼子藩が滅びてから200年は経っているはずだ。

昔は時の流れがゆっくりだったのだろう。
情報の量が今とは全く違う。
インターネットがこれだけ大きくなる前にはテレビがあり、その前にはラジオがあり、全国紙の新聞があり…さかのぼっていくと、江戸時代の情報量は今の何百万分の一というような単位になりそうな気がする。

そんな時代だからこそ、尼子が毛利に滅ぼされたことも伝えられたのだろう。

そのなごりがぼくまで来て、ぼくで終わる。
うちの子どもたちに、毛利や尼子の話をしても、もう伝わってはいかないだろう…。
情報が多すぎるのだ。

あるところまでは、情報量が増えることは人間が何かを考える上でプラスに働くが、そこを越えるとマイナスになる。

これからは、どうやって情報を減らすかを考えていかないといけない。

情報を減らした時に、祖母が毛利の劇を見に行かなかったというようなことが伝えられていくかどうかは別として…。





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