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2007.05.09 Wednesday
平成の死語
今日子供と話をしていたら、「学生運動」という言葉が通じない。
60年代から70年代にかけて、大学生を中心に反体制的な運動をしたことと言っても、ピンと来ないようだ。 当然と言えば、当然だが…。 ついでに、当時の流行語(と言っては語弊があるが…)についても聞いてみた。 「ブルジョアジー」は、世界史で習ったとのこと。資本家のことだ。 でも、「プチブル」は知らない。 もちろん、「プロレタリアート」は知らない。 もう死語なのだ。 いつか労働組合でもやったら、知ることになるかもしれないが、よく考えたら会社の労働組合でも、ずっと前からそんな言葉は使っていなかったなあ。 「マルクス」は経済に関係した人だろうと言っていた。 たしかに、経済の人だが、この言葉に経済以外の特別な意味はもはや無いのだ。 ベルリンの壁が崩れてしまった影響はとんでもなく大きいのかもしれない。 あの壁が残っていたら、ひょっとしたらこれらの言葉は死語になっていなかったのかもしれないと思う。 あのころ、世の中には資本家対労働者という階級闘争があった(ということになっていた)。 アメリカといえば、米帝(アメリカ帝国主義のこと)という言葉が思い出される。 走狗(権力者の手先となる者たち…権力者のイヌ?)という言葉もよく聞いた。 そんな言葉も平成生まれの人たち(昭和生まれの一部もかな)には死語になってしまった。 あと10年くらいしたら、「学生運動」という言葉は、授業と授業のあいだに行う体操のことか?というような世代も出てくるのかもしれない。 それはそれで構わないが、もっと忘れてはならないことまで忘れてしまいはしないだろうか…。 歴史が大事だということは歴史の時間には習わなかった。 歴史がなぜ大事なのかということを教えることこそ、歴史の授業の一番大事なことだと思うのだが、なぜ教科書に書いてなかったのだろうか? そんなことは、習った後でないとわからないということなのだろうか…。 人がやることには、そんなに変わりはない。 人類は何度も同じようなことを繰り返してきたのだ。 だからこそ、過去に習わないといけない。 それでも、同じようなマチガイを繰り返すのだから、教科書を作った人たちは、それを教えても仕方がないと思っているのだろうか…。 話がそれてしまった。 |
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