考えたこと2

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キロ・メガ・ギガ
1980年代に発表されたパソコンは、中にためることのできるデーターの容量がキロバイトという単位だった。
キロというのは、キロメートルのキロであり、1000倍ということ。(1000メートルは1キロメートルでしょう。)
1バイトというのは英数字1文字をあらわすための大きさである。

1990年代になって、その単位がメガバイトになった。
メガというのは、キロの1000倍で、100万バイトが1メガバイト。

2000年を少し越えて、これがギガバイトになった。
ギガはメガのさらに1000倍。
すごい単位である。
ギガバイトが出てきた時には、こんなものがいるのかな…と思っていた。

キロバイトの時代は、主に文字の時代だったと思う。それも、モノクロだ。
パソコンは、モノクロの文書を作ったり、数字を入れたりするものだった。

メガバイトが必要になったのは、一つはカラーになったこと、そして画像や音声を扱うようになったことだ。
今の高性能のデジカメで撮った写真は1枚で数メガバイトのものもある。
カラーの画像を扱おうと思ったら、メガバイトが必要になったということか。
音声も音楽1曲で数十メガバイトという単位になる。(今は音声信号を圧縮して小さくできるようになったが…)

そして、ギガバイトは、画像や音声をたくさんためておこうとすると必要になる。
また、同じ画像でも動画を扱おうとすると、ギガ単位になってくる。
映画1本で数ギガバイト(DVD1枚)になるのだ。

必要は発明の母…とはよく言ったもので、そういう需要に応えて、どんどん大容量の入れ物ができてきた。
文字から画像・音声、モノクロからカラー、そして動画へ…という変遷が、キロ、メガ、ギガという変化になった。

一文字1バイトから、1000、1000000(百万)、1000000000(十億)という単位になったのだ。

文字ベースで考えると、すごい量である。
ちなみに、このブログを1年以上続けているが、すべての文字を合わせても、1メガバイトにもならない。

今や500ギガバイトというような入れ物(ハードディスク)が数万円で買えてしまう世の中になった。

このままいくと、どうなるのだろう…?

今の動画をハイビジョンというような精細な動画にしたりすると、どんどん容量が必要になってくる。
ギガのさらに1000倍、テラという単位になる。

テラの1000倍はペタ、ペタの1000倍はエクサ、エクサの1000倍はゼッタ、ゼッタの1000倍はヨッタ、ヨッタの1000倍はハーポ、ハーポの1000倍はグルーチョ…というらしい。

僕が生きているあいだ、ずっとパソコンと呼ばれるものがあるのかどうかはわからないが、死ぬ頃には1ゼッタバイト…というような容量になっているのだろうか…。

それでも、文字や言葉はなくならないだろう。

容量が大きくなるのはよいが、どんどん1バイトあたりの内容が薄まっていく。

そのうち、人類が今までに書き残した文字すべてが、1枚のハードディスクに収まるような時代になるのだろうか。
集め方はさておき、それはすごいことだ。
何がすごいのか…わからないくらい、すごいことだと思う。

その頃、人類はそれを役立てることができるのだろうか?

難しい問題のような気がする。


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