考えたこと2

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自分の決算書
本を読むということは、今すでにいなくなった人との対話である、と誰かが書いていた。
山本夏彦だったか…。

鹿児島でお墓参りに行って、亡くなった人とお話してきた。

仕事のこと、プライベートなこと…2年少しの間に話したかったことを話してきた。
小さな箱に入ったお骨が、物理的に残されたものである。
その箱に向かって、話しをしてきたのだ。

早く亡くなる人もいれば、長生きする人もいる。
この世で生きた時間を、人と比べることは、あまり意味がないことだと思う。
どれだけの人の心の中に残っているのか…、それがその人の人生の決算ではないか。

そういう意味では、生活したこと、仕事したこと、書いたもの、書かれたもの、何かの形に残したものなど…、それに関わった人たちの心の中に、その人は生きている。

どれだけ生きたかという時間よりも、何をしたのかという事だろう。

神サンは気まぐれだから、いつお呼びをかけるのかはわからない…とは田辺聖子の言葉。

自分でいいこともしたきたし、ろくでもないこともしてきた。

いつでも決算できるように、決算書を意識しておかないといけないのだろうが、これがまた難しい。

いいこと、ろくでもないことというのは、あくまで主観の問題だからだ。
自分にとっていいことというのが、必ずしも誰にとってもいいこととは限らない。

最終的には、神サンが判定するのだろうが、神サンの判断基準は、ルールブックがあるわけではなく、公開もされていないから、決算書を意識することも実際には難しい。

う〜ん、どうしたらいいのかわからない。

結局、こたえがないのが、人生の難しいところなのだろう。

そんなことを、鹿児島から帰ってきて考えた。

今年ももうあと1日。

今夜はとりあえず自分の年次決算をしてみよう。



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