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2006.12.30 Saturday
自分の決算書
本を読むということは、今すでにいなくなった人との対話である、と誰かが書いていた。
山本夏彦だったか…。 鹿児島でお墓参りに行って、亡くなった人とお話してきた。 仕事のこと、プライベートなこと…2年少しの間に話したかったことを話してきた。 小さな箱に入ったお骨が、物理的に残されたものである。 その箱に向かって、話しをしてきたのだ。 早く亡くなる人もいれば、長生きする人もいる。 この世で生きた時間を、人と比べることは、あまり意味がないことだと思う。 どれだけの人の心の中に残っているのか…、それがその人の人生の決算ではないか。 そういう意味では、生活したこと、仕事したこと、書いたもの、書かれたもの、何かの形に残したものなど…、それに関わった人たちの心の中に、その人は生きている。 どれだけ生きたかという時間よりも、何をしたのかという事だろう。 神サンは気まぐれだから、いつお呼びをかけるのかはわからない…とは田辺聖子の言葉。 自分でいいこともしたきたし、ろくでもないこともしてきた。 いつでも決算できるように、決算書を意識しておかないといけないのだろうが、これがまた難しい。 いいこと、ろくでもないことというのは、あくまで主観の問題だからだ。 自分にとっていいことというのが、必ずしも誰にとってもいいこととは限らない。 最終的には、神サンが判定するのだろうが、神サンの判断基準は、ルールブックがあるわけではなく、公開もされていないから、決算書を意識することも実際には難しい。 う〜ん、どうしたらいいのかわからない。 結局、こたえがないのが、人生の難しいところなのだろう。 そんなことを、鹿児島から帰ってきて考えた。 今年ももうあと1日。 今夜はとりあえず自分の年次決算をしてみよう。 |
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