考えたこと2

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ダイマル・ラケット
昨日落語の事を書いたので、今日は漫才の事を書く。

上方漫才ですごい人と言ったら、誰になるだろうか。
強いてベスト・ワンを選ぶなら…。

僕なら、ダイマル・ラケット、いとし・こいしのどちらかだ。

いとし・こいしもスゴイと思うが、ダイマル・ラケットもスゴイ。

ダイマルのネタが荒唐無稽で、ネタの面白さならダイマル・ラケットかと思う。
身近な話題を笑いにする、いとし・こいしもすごいのだが…。

小学校の頃、だいたい散髪に行くのは土曜日の昼下がりと決まっていた。
家からまっすぐ坂を下って、歩いて10分くらいのところに散髪屋さんがあって、だいたい2時過ぎくらいに行っていた。

その散髪屋さんはいつもラジオをかけていて、どこの放送局かはわからないが、土曜の昼下がりにダイマル・ラケットがコマーシャルを漫才風にやる、という番組があった。

内容はあまり覚えていないが、商品名をダジャレにしたり、商品の特徴を掛け合いで喋ったり…という番組だった。
30分だったのか、1時間だったのか…それもわからないが、時々歌謡曲がかかり、ほとんどがコマーシャルという番組だったと思う。
その番組を聞きながら、にんまりしながら散髪屋さんの鏡を見ていたことを思い出す。
そういえば、あの頃は鏡を見ていたなあ…。(今はほとんど見ない)

調べてみると、ダイマルが亡くなったのが1982年ということだった。
もっと早く亡くなったのかと思っていたら、僕が25歳の時まで生きていたのか…。

お化けになりすますというネタや、お父さんが義理の娘と結婚するというネタ、野菜や果物の品種改良をするというネタ、地球が丸いハズがないというネタなど…本当に面白いネタが多かった。

いとし・こいしもそうだが、ダイマル・ラケットは古さを感じない。
いつ聞いても面白いのだ。

どちらも、兄弟で、素晴らしい漫才師だった。

そして、どちらももう生で聞くことができないのは、残念だ。


| | 考えたこと | 01:26 | comments(4) | trackbacks(0) |

コメント
仁鶴さんのCDとともに今聴いているのが、やすきよの漫才です。

上方新人賞を取った時の漫才があったのにはびっくりしました。22歳前後の漫才だそうです。
西川きよしの声は同じなのに、やっさんの声がすごく高くて、でもやっぱり上手かったです。
確かやっさんが3歳ほど年上だったと思います。

一番のっていた30代の漫才は最高でした。
お互いの子供の運動会をネタにした漫才はほんとに面白い。
私は小さい頃から漫才が好きだったので、このネタも生でも録画ででも聴いていますが何度聞いても面白いです。

それから終盤(結果的に)の漫才はやっさんに元気が無かったです。
私が聴いていてもわかるくらいだから・・。
なんだか痛々しかったです。
おまけにそのCDの最後にはやっさんの本葬での西川きよしの別れの言葉まで入っていました。
二人の生き様というか、やっさんの人生を想像するととても胸が痛くなりました。

いとこいさんもいいですよね。
私は亡くなった時ショックで、葬儀に行こうかと、本気で段取りをしてました。
結局いけませんでしたけど・・。
悲しくて追悼番組を見まくりましたし、新聞の切抜きも置いてます。

ただ、この間久々にテレビに出ているのを見たら、黒沢年男のようなニット帽をかぶりサンタのようなひげを蓄えていて、完全に爺さんになっていたのには驚き、別の意味でショックを受けました・・。

| ウッディ | 2006/11/25 1:11 AM |

やすきよも面白かったですね。

第一次の漫才ブームで東京に行って、きよしが議員になって…そのあたりからおかしくなってしまいました。

やっさんの個性でもっていたコンビだったと思います。

あの時代、影に隠れてしまいましたが、Wヤングが好きでした。
落研の中にもファンが多かったです。

背の高い方が自殺してしまって、今は別のメンバーになりましたが、あの人がすごく面白かったです。

やっさんも、Wヤングの面白かった人も、枝雀も…エンターテイナーは若くて亡くなる人が多いようですね。

枝雀が亡くなったときに、イギリス人にその話をしたら、本当にすごいコメディアンは若死にするのだと言っていました。

人を泣かすことよりも、人を笑わすことの方が自分の身を削ることなんだと思います。

そして、笑わされたことに慣れたお客さんは、常に笑わされることを望みますよね。

すごければ、すごいほど、それを続けることはしんどいことだと思います。
特にその人の芸というよりも、生き方が絡んでくると、疲れてしまうんでしょうね。

笑わしてくれた人に感謝しないと…。


| suzy | 2006/11/25 12:17 PM |

私の中の一番は、やはり早死にされましたが、『若井はんじ・けんじ』です。
小学生のころテレビの前でオープンリールのテープレコーダーに漫才を録音し聞いていた覚えがあります。
ワッハ上方ができた時も一番にライブラリーで視聴しました。
今思えば、そんなに上手な漫才ではなかったのかも知れませんが、幼い私には大好きな漫才師でした。
ダイビングクイズも欠かさず観てましたよ。
| m. | 2006/11/25 3:00 PM |

はんじ・けんじも懐かしい人ですね。
たしか、関西の出身ではなくて、関西弁ではなかったですよね。

幽霊のネタが有名だったと思います。

ダイビング・クイズ…やってましたね。

いとし・こいしの7万円、5万円、3万円運命の分かれ道…というのを見て、その後ダイビングクイズを見ていたような気がします。

| suzy | 2006/11/26 12:11 AM |

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