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2006.01.16 Monday
マフラーの記憶
気に入っているもの、というのがある。
自分自身、今までそんなにたくさんはないのだが、小学校の3年生くらいの時にしていたマフラーのことが忘れられない。 赤と黒のチェックの柄だった。 今なら、そんな色合いのマフラーなどしないのだが、母親が使っていたものをもらった。だから、気に入っていたのかもしれない。子ども心に大人のモノはうれしかったんだろう。 学校から帰って遊びに行くときには、それをして遊びに行っていた。 あるとき、家の近所の雑木林の近所の大きな石のところで遊んでいて、あつくなってマフラーを置いたんだと思う。 夕方、日が暮れかけて、家に帰って、気がついたらマフラーがない。 あわてて遊んでいたところまで行き、探したが、ない。 もう一度家まで戻る道を、まわりに落ちていないか、路肩のみぞの中ものぞきながら、歩いて帰った。 それでもなかった。 親に頼んで、一緒に遊んでいたH君の家に電話をかけてもらったが、彼も知らないという。 あまりに僕が落胆していたからか、親も「仕方ないやん」という感じだった。 たしかに、僕がもらったときには、すでに長いこと使っていて、使い古した・・という感じのものだった。 マフラーの柄も覚えているし、なくしたときに遊んでいた場所もはっきりと覚えている。 どういうわけか、遊んでいた風景すら、マフラーをなくしたことと結びついたからか、思い出せる。 H君は、そのすぐ後に引っ越してしまい、それ以降会っていないが、マフラーをなくした事で、彼のことは忘れられなくなった。 もしも、なくしていなかったら、いつかは汚れて、捨ててしまわれて、気がついたらなかった・・というものかもしれない。 でも、なくしたおかげで、その光景が切りとられて、記憶の中に焼き付いた。 冬になって、マフラーを出すたびに、あの赤いマフラーのことを思い出す。 不思議な記憶ですよね。 記憶というのは、どういう仕組みになっているんだろうか。 あのマフラーは、今でも惜しいと思う。 |
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