考えたこと2

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マフラーの記憶
気に入っているもの、というのがある。
自分自身、今までそんなにたくさんはないのだが、小学校の3年生くらいの時にしていたマフラーのことが忘れられない。

赤と黒のチェックの柄だった。
今なら、そんな色合いのマフラーなどしないのだが、母親が使っていたものをもらった。だから、気に入っていたのかもしれない。子ども心に大人のモノはうれしかったんだろう。

学校から帰って遊びに行くときには、それをして遊びに行っていた。

あるとき、家の近所の雑木林の近所の大きな石のところで遊んでいて、あつくなってマフラーを置いたんだと思う。

夕方、日が暮れかけて、家に帰って、気がついたらマフラーがない。

あわてて遊んでいたところまで行き、探したが、ない。
もう一度家まで戻る道を、まわりに落ちていないか、路肩のみぞの中ものぞきながら、歩いて帰った。
それでもなかった。

親に頼んで、一緒に遊んでいたH君の家に電話をかけてもらったが、彼も知らないという。

あまりに僕が落胆していたからか、親も「仕方ないやん」という感じだった。
たしかに、僕がもらったときには、すでに長いこと使っていて、使い古した・・という感じのものだった。

マフラーの柄も覚えているし、なくしたときに遊んでいた場所もはっきりと覚えている。
どういうわけか、遊んでいた風景すら、マフラーをなくしたことと結びついたからか、思い出せる。

H君は、そのすぐ後に引っ越してしまい、それ以降会っていないが、マフラーをなくした事で、彼のことは忘れられなくなった。

もしも、なくしていなかったら、いつかは汚れて、捨ててしまわれて、気がついたらなかった・・というものかもしれない。
でも、なくしたおかげで、その光景が切りとられて、記憶の中に焼き付いた。

冬になって、マフラーを出すたびに、あの赤いマフラーのことを思い出す。

不思議な記憶ですよね。

記憶というのは、どういう仕組みになっているんだろうか。
あのマフラーは、今でも惜しいと思う。

| | 考えたこと | 23:41 | comments(0) | trackbacks(0) |

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