考えたこと2

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忘れられる権利 Right to be forgotten
情報技術(IT)が発達して、昔はなかった権利を意識せざるを得なくなった。
「忘れられる権利」というものだ。

ニュースによると、「欧州連合(EU)の欧州司法裁判所(ECJ)が下した「忘れられる権利(right to be forgotten)」を支持する裁決に従い、米Googleは複数の大手ニュースメディアの記事を検索結果から除外した。英Guardianと英BBCが現地時間2014年7月2日、Googleから削除通知を受け取ったことを報告している。」とある。

現在、ネットのニュースに載った記事は永久に残るような仕組みになっているようだ。
だから、自分が人々に忘れてもらいたい記事を、検索にひっかからないようにしてもらおう、という権利を主張して、欧州で認められた。
もちろん、細かい条件等はあるんだろうが、とりあえず欧州ではそれを「忘れられる権利」として認めたということだ。

この判決以来欧州のグーグルは6月末の時点で7万件もの削除要求を受けたとのこと。
それらが公共の利益にかなうかどうかは、グーグルが判断するらしい。

一部のジャーナリストたちは、これが知る権利を脅かすと言っている。
要は、「知る権利」と「忘れられる権利」のせめぎ合いになっているのだ。

ぼくは条件が整えば、忘れられる権利を行使してもいいのではないかと思う。
ずーっと昔に一度記事になって、それが何度も検索で出てくるのは嫌だろう。
程度によるが、いつかは忘れられてもいいと思う。

これは根が深い問題だ。
インターネットの発達によって、誰でもが、どんな情報でも、全て入手可能になろうとしている。
ただ、それだけではどうにもならない。
それらを検索して、出てくることが大事なのだ。
だから、検索エンジンを制するものは、情報の世界を制すると言われている。
今のところ、グーグルの天下だ。
日本では一時Gooが頑張っていたが、もう手も足も出ない、と思う。

欧州の裁判所が「忘れられる権利」を認めたのは一つの見識だと思う。
アメリカが自由を重視するのに対して、欧州は少し保守的だ。
グーグルの検索技術に対する警告もあるのかもしれない。
そういえば、欧州連合はグーグルに対して批判的なスタンスでいるような気がする。

ちょっと話は違うかもしれないが、人には「忘れられる権利」があるのではないかと思う。
いつまでも、情報の世界で生きながらえるのは嫌だ。
もちろん、死んだ後も生きながらえてしまう。
自分が死んだ後のことなど、どうでもいいと思う気持ちもあるが、いつまでも自分のことを覚えられるのは精神衛生上よくない。

この判決は、新聞などのニュースに載ったことが対象みたいだが、偉大な業績を打ち立てた人は別として、人は忘れることができる、という時間の癒しを享受することは、一つの権利だと思う。

まだインターネットが普及して1世紀もたたないから、そういう意味での「忘れられる権利」というのは取り沙汰されないが、これが続くときっと出てくると思う。

人の噂も七十五日と言うではないか。



| | 考えたこと | 23:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
国語は大事
臨床心理学者の記事があった。
それによると、日本人はディベートのように自分の意見を通すのは苦手としているが、それは必ずしも悪いことではない、ということだ。
みんなで合意を形成していく、というスキルも大事だということだろう。

その記事の中で言っていることが印象的だった。

「人間は考えるということを言葉で行う。つまり言語能力を獲得していなければ、考えることができない。今は大学生ですら、十分な言語能力が獲得できていない人が非常に多い。母国語の言語能力が確立していないのに外国語を学ばせるのは間違っている、ということだ。

学生に対する心理テストでも、質問の意味がわからない、という学生もいる。「早とちり」という言葉の意味がわからなかったりするそうだ。

そして、言語能力が低いほど、うつ的な気分になりやすいという。悩んだ時に、それを言語化して言葉で解決できないからだ。」

ぼくも全く同感。
まずは内容だ。
話すべき内容を持っていないと、いくら外国語が話せても仕事では役に立たない。
話すべき内容を持つためには、言語能力をつけておかないといけない。
そのためには母国語で本を読むとか、考えるとか、そういう訓練をしていかないといけない。

実際、語彙がないと考えることすらできない。
悩んでいる時というのは、たいがいいくつかのことで葛藤している。
でも、葛藤という言葉を知らないと、それを説明できない。
それ以外にも、矛盾、概念、抽象というような言葉を使わないと説明できないことがある。

できれば、そういう言葉と場面をセットで覚えると、よくわかる。
だから、小説を読むことが大事なのだろう。

小学校で英語をやることに反対はしない。

でも、国語の時間を増やしたほうがいいと思う。


| | 考えたこと | 00:51 | comments(0) | trackbacks(0) |