考えたこと2

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歌のない式?
蔓延防止の重点措置が解除されたが、あまり街を歩いている人たちの姿は変わらない。
子どもたちもマスクをつけている。
学校でもしているらしい。
イギリスでは保育園や小学校では去年の夏以降、マスクはしなくていいことになっているのだが…。

文科省は濃厚接触者の特定などは必ずしも行う必要はない、と言っている。
どうして「行わない」と言わないのだろうか。
ただでさえ、ヒラメのように上ばかり見ている教育現場が、そんな言い方でやめるはずがない。
誰もが責任を取るのが嫌なのだろう。
そんな教育現場から、責任感のある子どもたちが育つのだろうか。

いつまでもみんなで歌うということができない。
3月、4月というと卒業式や入学式がある。
小中高の式では、ぼくらの頃は「君が代」「蛍の光」「仰げば尊し」と校歌を歌ったと思う。
40年以上経った今でも、「蛍の光」や「仰げば尊し」の歌詞は出てくるくらいだ。

コロナ感染が始まったころから、小学生、中学生の年齢の子供たちは重症化などほぼゼロだ。
どちらかといえば、先生たちの年齢の人たちの方が問題。
子どもが罹ると家庭内の感染が怖いからだろうか。

それも、本気で怖いわけではなく、「コロナに罹患する」ということが怖いのだろう。
日本はマスコミなどの過剰報道の影響もあるのか、コロナに罹患するのは個人の責任、というような馬鹿な考えを持つ比率が高い。
感染しても無症状の人もたくさんいるし、普通に生活できる程度の「風邪」レベルの人たちだっている。
そういう人たちから風邪をもらうのは個人の責任ではないだろう。
諸外国では個人の責任というような考えを持つ比率は低い。

ネットで「卒業式で歌を歌えない」で検索すると、たくさん出てくる。
卒業式や入学式で歌を歌わないのは、本当に思い出の大事な部分が欠けてしまう。
先生は「安全」を第一にして、そんなことをしているが、3年前までは熱がちょっとあって、インフルエンザかもしれないという生徒でも、卒業式だけは出ていたりしただろう。

それは、最後に校歌を歌いたいという気持ちなどもあったからだろう。
歌には人の気持ちを一つにする力がある。
一つの歌をみんなで歌うというのは、そういうことなのだ。
それが卒業式の思い出になる。

この国はいつまで子どもたちの思い出を搾取したら気が済むのだろう。

いつかきっとしっぺ返しが来るぞ。





| hdsnght1957kgkt | 考えたこと | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) |

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