考えたこと2

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内申書
内申書というのものは、あまり評判が良くない。

でも、そんなに重要なものでもないと思っていた。
ぼくらの時代は、そんなに内申点が重視されていなかったと思う。
兵庫県は兵庫方式という高校入試で、内申を重視しているということだったが、当時の先生がどんな内申点をつけていたかは知らない。
でも、そんなにわけのわからない内申点はつけていなかったのではないかと思う。

中学時代、ぼくはどちらかというと目立たないけどわりと先生の言うことを聞いていたし、そんなに反抗的でもなかった。
提出物はそんなに多くなかったが、出していたし、宿題もやっていた。
マジメな生徒だった。
定期テストの点数はそれなりにいい方だったと思う。

高校になってから、遅めの反抗期が来て、クラスで一番遅刻が多かった。
遅刻といっても、10分や20分の遅刻ではなく、2時間目くらいに行くのだから、確信犯的な遅刻だった。
単に朝起きられなかっただけだったが…。

今は内申書の比重がどの自治体も上がっているらしい。
さらに、学校間の格差をなくそうということで絶対評価にした。
レベルの高い学校で悪い点を取る人と、レベルの低い学校でいい点を取る人を正しい関係にするためだろう。
しかし、それによって、結局はみんなが高い点になったらしい。

ぼくらの頃は相対評価だったはず。
5段階なら、「5」は全体の10%、「4」は15%とかいう数字で決まっているという評価。
絶対に分布は1から5まで広がる。

結果的には上の方に評価点が集中して、レンジが狭くなったという感じだろう。

ぼくは内申書が問題になるのは、先生が恣意的に点をつけることができる、ということだろうと思う。
どうしてもそうなると、先生の顔色を見て生徒が動くようになる。
そんな風に若い人たちを育てておいて、最近の若いものは指示待ちだとか、自分で考えないとかいう。
それはオカシイ。

人が人の評価をすることは難しい。
人は間違う生き物だ。
だからこそ、テストという客観評価をしているのだろう。

生徒をコントロールするために内申書を使ってはイケナイと思う。
それは、ものすごい管理社会だ。

一度どこかの自治体で廃止してみたらいいと思う。
教育の機会はだれしも1度だけだし、「やってみる」ということが教育ではあまり行われない。
でも、そういう試行錯誤も必要なのではないか。

ぼくはそう思う。

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