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2015.03.20 Friday
桂米朝
桂米朝が亡くなった。
忘れられていたネタを復興し、今の上方落語界の重鎮の一人。 ぼくは仁鶴で落語を好きになったが、最初はやっぱり米朝だった。 小学校の時に聞いた、何気ない大阪人の会話、「どちらまで?」「ちょっとそこまで」「そらよろしいな」というマクラ(ネタに入る前の小咄)がすごく面白くて印象に残った。 当時祖母は演芸が好きで、寄席中継などはよく見ていたから、そのへんから落語を知ったと思う。 米朝は、若い頃は落語をよく勉強したらしい。 いかにもそういう感じの落語家。 ある意味、計算ずくの落語をやる人だったと思う。 前にも書いたが、米朝は弟子の枝雀とは落語観が違う。 亡くなった枝雀は自分の落語を聞いて、笑っていたらしい。 それを見て、米朝は信じられないという。 自分の落語を自分で聞いて笑うというのは、米朝にとっては想定外だったらしい。 ぼくは大学時代に4年間落語をやっていたが、自分の話を聞いて笑う派だった。 だから、米朝の言っていることがわからなかった。 どうして、枝雀のように自分の落語を聞いて笑うのが不思議なんだろう、ということだ。 笑わない派の米朝から見ると、自分の落語は自分で話して全部わかっているのだから、何がオカシイのか、というところだろう。 枝雀が不真面目というわけではないが、米朝はマジメに落語に取り組んでいるという感じだ。 米朝の喋りの特徴は、「きばり」だ。 ここを聞かせたい、というところで「きばる」。 「何を言うてまんねん」というセリフを「なアーにをーゆウてまんねん」というふうにきばって、笑いをとる。 よくマネをしたが、そううまくはいかなかったなあ。 あの「きばり」をもう聞くことはできない。 まあ、年をとって、すでに落語はやっていなかったが…。 上方落語を支えてきた人が、また一人逝った。 ご冥福を祈ります。 |
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