考えたこと2

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桂米朝
桂米朝が亡くなった。
忘れられていたネタを復興し、今の上方落語界の重鎮の一人。

ぼくは仁鶴で落語を好きになったが、最初はやっぱり米朝だった。
小学校の時に聞いた、何気ない大阪人の会話、「どちらまで?」「ちょっとそこまで」「そらよろしいな」というマクラ(ネタに入る前の小咄)がすごく面白くて印象に残った。
当時祖母は演芸が好きで、寄席中継などはよく見ていたから、そのへんから落語を知ったと思う。

米朝は、若い頃は落語をよく勉強したらしい。
いかにもそういう感じの落語家。
ある意味、計算ずくの落語をやる人だったと思う。

前にも書いたが、米朝は弟子の枝雀とは落語観が違う。

亡くなった枝雀は自分の落語を聞いて、笑っていたらしい。
それを見て、米朝は信じられないという。
自分の落語を自分で聞いて笑うというのは、米朝にとっては想定外だったらしい。

ぼくは大学時代に4年間落語をやっていたが、自分の話を聞いて笑う派だった。
だから、米朝の言っていることがわからなかった。
どうして、枝雀のように自分の落語を聞いて笑うのが不思議なんだろう、ということだ。

笑わない派の米朝から見ると、自分の落語は自分で話して全部わかっているのだから、何がオカシイのか、というところだろう。
枝雀が不真面目というわけではないが、米朝はマジメに落語に取り組んでいるという感じだ。

米朝の喋りの特徴は、「きばり」だ。
ここを聞かせたい、というところで「きばる」。

「何を言うてまんねん」というセリフを「なアーにをーゆウてまんねん」というふうにきばって、笑いをとる。
よくマネをしたが、そううまくはいかなかったなあ。

あの「きばり」をもう聞くことはできない。
まあ、年をとって、すでに落語はやっていなかったが…。

上方落語を支えてきた人が、また一人逝った。

ご冥福を祈ります。


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