考えたこと2

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わだかまり
「永遠の0」を読んで、どこかにわだかまりがあった。
戦争は悲惨だ。それはその通り。
でも、いろいろと第二次大戦の本を読んできたが、どうもこの「永遠の0」は違うと思う。
だから、本のレビューを書かなかったのだが、なぜかを書いてくれている人の記事を見つけた。

ニューズウィークの日本版に書かれているだいぶ前の冷泉彰彦氏のコラムだ。
賛否はあるかもしれないが、ぼくはこの冷泉氏のコラムに同意する。

職場のみんなが読んで、これはいい、感動したという。
だから、ぼくも買って読んだが、どこか今までの本とは違うと思った。
実際には、戦争はもっと悲惨なはずなのだ。

その悲惨さが、メロドラマになってしまっていて、美しく書かれているからだ。
そんなにきれいなものではないはずだと思う。

特攻隊に(志願して)選ばれた人たちの心情は、ぼくらには察することはできない。
それを軽はずみに、メロドラマにしてしまってはいけないのだと思う。
本当にあの人たちが遺したものを読んで、おもんばかるしかない。

それがずっとあったわだかまりなのだとわかった。

コラムを引用すると、

「特攻というのは搭乗員への死の宣告であり、同時に敗戦を前提とした自暴自棄的な作戦であり、敵側からは命がけで突っ込んで来る恐怖の存在であり、全体的には人道に反する行為です。ですから特攻作戦であるとか、レイテ戦以降の「全機特攻方針」などという軍の方針に関しては、最大限の非難と批判がされるべきです。もっと言えば、大戦末期における特攻というのは、「戦争を終わらせることができない」軍並びに政府の指導者の責任感不足、指導力不足のために継続されたとしか言えないわけです。
 ですが、個々の特攻隊員が受けた苦痛への同情の念というのは勿論、否定することはできません。例えば実際に身内の中に特攻による犠牲者を出した家族の場合であるとか、特攻隊員の遺書や手記に触れたりした場合には、その個々の特攻隊員への強い畏敬の念を持つということはあるわけです。
 ここに重たいジレンマがあります。つまり歴史的な評価としては全否定をしつつ、私的な心情としては個々の犠牲には畏敬の念を抱くという「重たいジレンマ」を背負わなくては、この問題に向かい合うことはできないのです。」

とある。

ぼくが感じた違和感もこれだと思う。

この本は、その「重たいジレンマ」を背負っていない。

特攻隊を、美しいメロドラマにしてはいけないのだと思う。

とってもスッキリした。




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