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2015.03.05 Thursday
勝手な脳
認知科学が発達すると、いままでぼんやりとわかっていたことに理屈がつく。
テレビなどでよくやっているが、動画の一部分が見ている間に変化しており、それがわかるか、というもの。 気づいてみれば何でこんな変化がわからなかったのだろうと思うが、気づくまでは全く見えない。 これはどうも、「非注意性盲目」ということに基づくものらしい。 脳科学上も、人間が目で見た情報をすべて処理できているとは言えないらしい。 脳がオーバーフローしてしまうからだろう。 コンピューターのファイルでも、音に比べて動画はケタ違いの情報量になっている。 脳がオーバーフローするのもわかる。 だから、脳は見ようとする情報を元に、視覚で得た情報を選択する。 それに気を取られてしまうから、見ようとするもの以外の部分が見えない。 網膜には写っていても、脳は認識しないということだ。 それを言っているのがフランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの言葉。 「心が受け入れるものしか目には見えない」 見ているつもりでも、全部は見えていなかったりする。 本当にそうなのだ。 有名なのは、バスケットボールの試合で、特定のチームのパスの回数を数えるように言われてビデオを見せるもの。 パスの回数に注意がいくと、ゴリラのぬいぐるみを着ている人が画面に入ってきても、半分の人が気がつかない。 非注意性盲目の状態になる。 これは本当によくできている。 おそらく、途中からビデオを見た人はすぐに気がつくのだろうが、パスに気を取られていると全く気がつかない。 目に見えているものを、脳がオーバーフローするので、カットするのだ。 いくら脳科学が発達しても、脳の能力を上げるのは難しいのだろう。 それが人間らしさにつながっているからなあ。 |
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