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2011.01.04 Tuesday
旧友
久しぶりに25年間勤めた会社の人と会った。
旧友というとおこがましい先輩ばかりだが、それでもみんな昔の仲間だ。 ぼちぼち定年という人もいるし、すでに定年した人もいる。 ぼくのやった仕事がまだ続いていると聞いて、ちょっとうれしかった。 まだ、仕事のことはだいたいわかる。 組織のこともだいたいわかる。 最近の若い人の様子も聞いた。 共通の認識があるというのは、すごくいいことだ。 会社では、何を求めていくのか、そこには答えがある。 社会から離れて、会社は存在しえない。 製品というのは、こうあるべき、というルールがある。 実際には、細かく記載されたガイドラインなどがそれにあたるのだが、もちろんそこに至るまでにはいろいろな物語がある。 敷衍すれば、哲学がある。 そういう集団の中に25年いたというのは、幸せな事だ、と今になって思う。 ぼくが入った頃はまだ会社が小さかった。 土曜日も隔週で出ていたし、伝票も全部手書きだった。 80年代に比べて、90年代は仕事量が増えた時期だ。 そこで人が増え、効率的な組織に変えていった。 ぼくらの頃は、一人で全部の仕事をやっていたのだが、それがある部分は派遣に置き換わり、ある部分は外注に変わり、またある部分は他の組織を作って縦割りにしていった。 昭和の時代は、まだ余裕があったということだ。 だから、考える時間があった。 他の部署の仕事を手伝ったり、出張に行くことができた。 そうすることで、知識の幅が広がって、人脈もできた。 それを効率が悪い、ということもできる。 だからこそ、90年代に効率化を図ったのだ。 その結果、何が起こったか。 一人ひとりが考えられなくなった。 そんなことをしていると、仕事が進まないのだ。 また、コンプライアンスが強化され、残業ができなくなった。 時代の流れだから仕方がないが、そうなると何が起こるのか。 ガイドラインに頼るようになった。 一番、信頼できる部下とはどんな部下だろうか。 何かで読んだが、言ったことができないのはまずダメ。 言ったことをちゃんとできるのがよい。 しかし、一番信頼できるのは、言ったことをちゃんとやるが、必要なときにはそれを破れる人だ。 そういう人が出てこないと、ダメだと思う。 その意味で、人の育成がしんどいことになっているのだろう。 言葉の端々からそういうことがわかる。 しかし、それを乗り越える手段が、共通認識だ。 それがカンパニーというものだろう。 少しうらやましい。 帰り道、阪急に乗って外の景色を見ながら、そんなことを思った。 |
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