考えたこと2

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運命
運命ということばが昨日出てきたので、それについて考えてみた。

運命というのは、自分で変えられないもの、という定義だと思う。
国語辞典にもそう書いてあった。

自分の運命とは何だろうか。

誰もが持っている運命は、生まれたということだろう。
両親は選べない。これこそ運命だ。
もちろん、両親も子供を選べない。これは親子双方にとって運命だ。
天皇などは、天皇家に生まれたということがその後の人生を決めてしまうのだから、これぞ運命だろう。
天が決めて、逆らえないものだ。
してがって、誰から生まれたかということは、運命といっていい。
大金持ちから生まれるか、芸能人から生まれるか、大天才から生まれるか…。

しかし、ここで一つ問題がある。
よほどの場合は別だが、それを比べることができない、ということだ。

人は一人分の人生しか生きられない。
当たり前だが、これをよく忘れる。
自分以外の人の人生は、想像はできても、実際にそれを生きることはできない。
これが、むずかしい。

幸福というものに一般的な尺度があれば、それでみんなの人生を一斉にはかって、誰々は100点だからいい人生だ、などと言えるのだろうが、残念ながらそんなものはない。
幸福が悪いものだ、という人はよほどのへそ曲がりを除いて、いないだろう。
したがって、人生の価値の一部は幸福を手に入れること、と言っても言い過ぎではない。
しかし、その幸福をはかるものがないのだ。

だから、人の人生を評価できない。

もともと、幸福など主観的なものだから、それを無視して物質的なものさえ満ち足りればよしとする…、といって大金持ちに生まれるという選択も無理だ。
それらは全て仮定の話。

実際に大金持ちで幸福ではない人もいるだろう。
食うや食わずの生活よりよほどましだ、という意見はあるだろうが、どっちが幸福か?という問いに答えられない。

みんなそれなりに幸福で、それなりに不幸だ。
でも、不幸でないと、幸福はわからない。
それが、幸せの青い鳥の寓話なんだろう。

だから、目の前のことに一生懸命に生きることが大事、ということになる。

ちょっと結論が飛んだような気もするが、これでいいのだ。



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